2012-12-11

週末のこと

土曜日。おやじと二人で酒を買いに行った。
僕は電気ブランのストック。おやじは巨大な焼酎。

最近、移動の車中はずっと藤本ヨウのクリスマスのミックスCDが流れている。
なかなかいい。途中のジングルみたいなコラージュ部分はなかなかどころじゃない。かなりいい。やるじゃないか。
あと私が作ったKURISUMAUも収録されていて、これは恥ずかしいなと思ったら、自分で思ってたよりキチンとまとまってて「これくらいはできていたのか」と安心した。
ふと「ああ、クリスマスなんだなあ」と思ったら、独り身の寂しさに負けそうになったので暖房を全開にした。
あ、このアナログはEAT RECORDSの通販でまだ買えます。よろしくお願いします。

夜になって「さて酒でも飲むか」という時に、気を利かせてツマミを買いにいった。
おやじの車を借りてちょっと離れたスーパーへ。駐車場でポールにぶつけてから焼きシシャモを購入。
ついでに電気屋に行ってUSBの延長ケーブルを購入して帰宅。

焼きシシャモをおやじに渡しつつ「車ぶつけましたごめんなさい」と付け加えた。
後ろのライトのとこ砕けてしまった。ううう。。。
なんて高いシシャモになっちまったんだちくしょう。

自分のために気を利かせてツマミを買ってきたついでに車をぶつけて帰ってきた息子になんと声をかけていいのか分からぬようで、おやじはしばらく無言だった。
なので、僕が「もちろん修理代は俺が出すんだからさ。シシャモおいしく食べてくれ」と促した。酒がすすまねえなあといいながらおやじはちびちびと飲み始めた。
私のほうがすすまない。シシャモの苦々しいこと。




日曜日。今日はコンパ。約10年ぶり。
夕方から友達と合流して名古屋駅へ。
もう一人(初対面)と合流して居酒屋へ。

しばらくして女の子3人到着。テンションあがる。昨日の車のことなどすっかり忘れて、ダイエットのこともすっかり忘れて飲んだ。
女の子も結構飲んでくれてたし、席替えして、それぞれが狙った子の隣に移動して良い感じになっていたと思うのだが、ここから私は記憶が無い。




次に気がついたときには「ううう・・・・。寒い。どこだここは。死ぬ死ぬ」と思いながらどこかを歩いていた。
また記憶が無くなる。

次に気がついたときには病院のベッドにいた。もちろんすぐに病院だとは気がつかなかったし、とても混乱したのだけどそれよりもまず「ああ、ここ暖かいなあ」と思った。
ベッドの横を見ると見覚えのある服が置いてあった。見覚えがあるどころか、コンパに行く直前まで着ていた部屋着だ。なぜここにある。いやな予感がする。とてもいやな予感がするのであります。

そんな混乱中の私のところへ「あ、起きられましたか」と先生が入ってきた。
まあ大体想像はつくので先生の説明は流し聞きして、置いてあった部屋着を上から着て会計に向かった。

保険証を持ってきてなかったので、看護婦さんから「あとで保険証を持ってこられたら差額はお返ししますが、とりあえず今から払う額は結構高いですよ」と言われた。
まあどうせ2~3万だろうと思ったので「まあいいですよ」と言って請求書を見たら7万7千7百ちょいだった。うわあい7が揃った。


約8万円という額にも驚いたが、すでに一万円だけ支払われていたのにも驚いた。やっぱりか。。。やっぱり来たのか。これは相当怒られるな。部屋着も納得だ。

家に帰る足取りの重いこと重いこと。頭痛も二日酔いプラス約8万円プラスアルファでとんでもない痛さだ。アルファのとこ考えたくない。
こんなときは宝くじでも買おうと思って、駅で人生初の宝くじを一枚だけ買った。
売店のおばちゃんが「どれが当たるかなあ」と選んでくれた。涙が出そうになった。

しばらくして家に着くと怖い顔した母ちゃんが待っていた。ううう。


「寒くて死ぬ」と思った私は警察に駆け込んで、警察から親に連絡(夜2時)が行って、警察ではどうしようもないので親が来る前に病院に運ばれて、病院に迎えに行った親も手におえず1万円と部屋着を置いて帰ったという経緯を説明されながらコンコンと説教された。えなりかずきの真似して「だってしょうがないじゃないか」と言ったら人生で一番スベった。



この二日間無かったことにしたいと切実に願うが、もちろんそれはかなわないので「人生ゲームで2回連続へんなマスに止まった」と考えることにした。まともには受け止められない。

忘年会も兼ねて飲んだのに、忘れたい事がまた一つ増えた。ふたつか。
年末だというのに不幸が駆け込み乗車してくる。

2012-11-27

最近のこと。

11月17日。夕方から銭湯。
寝不足のせいでサウナで寝た。おかげで大量に汗をかくことができた。

夜は自転車でクラブへ。カアリイがゲストのパーティー。
行った時にちょうどカアリイの出番が始まって、そのままカアリイはDJ中に倒れたので全く話せず。

手渡された酒を全部きちんと飲むとああなる。たまには断るとか、飲んだふりをするとか、自分のだけコッソリ酒じゃないやつにしてもらうとか、すぐトイレで吐きだすとか・・・、上手く立ち回る方法はいくつもあるのだけど、不器用なタイプはこうなる。僕もたまにこうなる。僕の周りのDJはこのタイプが多い。
客観的に見るならこういうタイプが好きだが、僕だけは上手に立ち回りたいものだ。

パーティー終わる頃にスッと帰った。
かなり眠かったので途中で居眠り運転をした。






 ←この無意味にぐるっと回ってるとこ居眠り中。サイクルメーターというアプリのおかげで、どういうルートで自転車乗ってたのか分かった。












寝不足の時はサウナとか自転車とか絶対やめようと思った。


11月23日。金曜日。スーパーで電気ブランを見つけた。
浅草の神谷バーというお店で出されている有名なお酒。ブランデーがベースでジンやワイン、ハーブなどが入ってます。
一度飲んでみたいと思っていたのだけど、まさかスーパーで買えるとは。
で、実際飲んでみたらこれがまた40度もあるとは思えないほどの飲みやすさ。買いだめ決定。

夜は自転車でクラブへ。友達と行く予定だったけど、パーティーが明日だと勘違いしていたせいで一人になった。遊民を誘ってみればよかった。


11月25日。日曜日。 日頃から「不健康なダイエットは良くない」とみんなに言われていたので、献血に行って健康アピールをしようと思ったのだけど、ヘモグロビン量が足りないらしくて献血を断られてしまった。

しょんぼりして帰ろうかと思ったら「成分献血なら出来ますよ」と言われた。成分献血の意味が分からなかったけどせっかくだからやることにした。
成分献血というのは、一回血を抜いて、遠心分離機で分離して、赤血球とか血小板だけ取り出して、あとは体に返してくれるそうです。だからヘモグロビン量が少なくてもできるそうです。

献血の時、やたらに「寒くないですか?」と聞かれた。寒くないって何度も言ってるじゃないかとイライラしたけど、どうやら僕の手が冷た過ぎて献血しにくかったかららしい。温かい物を握らされて「これをぐにぐにしててください」と言われた。しばらくして、やっぱりこれもお願いしますと言われて毛布2枚掛けられた。

いままで何度も献血したけどこんなにスムーズにいかなかったのは初めてで、みんなに健康アピールするつもりが「みなさんのおっしゃる通りでございます」と言わざるをえない結果になった。

で、いつものように自転車で1時間半かけて帰宅。
献血後だろうと気にしない。不健康だろうと気にしない。

で、筋トレして銭湯いって、サウナで2キロ落とした。
献血後だろうと気にしない。不健康だろうと気にしない。

いつもよりも立ちくらみがひどくて 「急に立ち上がると、3秒ほど目の前が真っ暗で何も見えなくなる」というレベルだったが「3秒だけ暗闇を歩いているだけだ」と思って、これもさほど気にせずに過ごした。すたすたと歩いてやった。


11月26日。雨。自転車に乗ってたら車道を走るトラックに水ハネを食らった。多少のことなら気にしないのだけど、ずぶ濡れになったので「これはクリーニング代を貰ってもいいレベルだな」と思った。自動車学校でも「水ハネは車の責任だからクリーニング代を請求できる」と教えられたし。

で、早速トラックの運転手にクリーニング代の請求するも何も、もうトラック遠くに行ってる。信号で止まってたので急いで追いかけるけど、すぐ青になっちゃうからまあ追いつかない。ナンバーも見えない。「ええ!これクリーニング代の請求できた人どーやったの!?」と思いながら必死でこいだが無理だった。

中指を立てた僕を置いてトラックは見えなくなった。

2012-11-11

東京4日間

目標の体重も達成してスーツも着れるようになりました。


11月2日。金曜日。前日から東京入り。
いままでの自分へのねぎらいも兼ねて少し観光。新しくなった東京駅。
そして東京に5年住んでても一度も足を踏み入れなかった銀座をぶらぶら。ついでに祝儀袋購入。
そのまま新橋まで歩いて居酒屋で飲んだ。新橋も初めてだった。すごく好きな感じ。
飲み足りないので新宿に移動して思い出横丁。新宿はよく来たけど思い出横丁に踏み入れたのも初めて。すごく好きな感じ。

そして小西さんが新しいパーティーをやっているので新宿OTOへ。
平林さんたちも遊びに来てた。楽しかったので朝までいたかったけど「明日は結婚式なので」と言って、早めに切り上げて近くのマンガ喫茶で寝た。


11月3日。土曜日。マンガ喫茶にて8時起床。9時にシャワーを浴びて、10時にスーツに着替えた。二日酔いもナシ。完璧。

マンガ喫茶を出る前に、一応連絡しとくかなと思って他の友達に「そろそろ向かうね~」とメールした。近くの駅で合流して、一緒に式場に行こうと思って連絡したのだけど、返信はまさかの「俺は明日向かうよ~」という内容だった。「明日」の意味が分からない。このメールを見ながら30秒くらい固まった。30秒後には何を言っているのか薄っすらと理解できてしまったけど分かりたくない。分かりたくないけれど、かといってこのメールを無視して今から式場に向かうのはもっと嫌だ。
結婚式は今日じゃなく明日なのだから。僕は間違えたわけだ。


別に「じゃあ今日も一日潰せばいいか」というだけの事なのだけど、あんなに前もってダイエットして、東京に前日入りして、OTOでみんなに「明日結婚式なんで」とか言っておいて、マンガ喫茶でスーツに着替えて、の、この結果なので自分に失望した。


という事で、この日一日を何かして潰すことになった。特に浮かばない。荷物増やしたくないのでレコード見に行きたくない。マン喫を出る時間になった。浮かばないけど外に出た。こういう時は歩く。とにかく歩く。下北まで歩いて事務所で打ちあわせをして、「着替えが足りない」と気が付いたので渋谷まで歩いてブランド古着屋で物色して、また下北まで歩いて戻って、かっちゃんと合流して、代々木八幡で平林さんとヤッスとも合流して飲んで、平林さんの家に移動してもっと本格的に飲んだ。
 昼から夕方までの行動は普通に電車で移動してたら2時間くらいで終わるような事しかしていないのだが、歩いたおかげでしっかりと6時間潰れた。カロリーも消費できた。なので、満足ではあるが「暇だから歩いた」というのは、客観的にみるとちょっと悲しい感じではなかろうかと思った。タンクトップの画家でもあるまいし。

平林さん達と飲むのはとても久しぶりですごく楽しかった。朝までいたかったのだけど「明日は友達の結婚式なので」と昨日と同じ事言いながら早めに解散。ヤッスの家で寝させてもらった。


11月4日。今度こそ結婚式。昨日マンガ喫茶で着替えた時にビニールのカバーを捨ててしまったので、もうそのまま丸めてリュックに入っていたスーツは予想通りにシワクチャだった。ダイエットの苦労などを思い出すと悲しくなるのであまり気にしないことにして着替えた。このシワクチャのやつを着るために僕は10キロも痩せ・・・いや、気にしない。

友達にメールしてお茶の水で11時過ぎに集合。

山の上ホテルにて披露宴。タワラ結婚おめでとう。

披露宴での料理は何も気にせず食べた。一応「結婚式の後も体型はキープしよう」と決めていたのだけど、披露宴で「いや、ダイエット中なので」と言って、料理を片っ端から残すような勇気はない。

途中トイレに行ったときに鏡をみて「あれ?俺、このスーツ似合ってない。なんかこのスーツがタイトっつーか、サイズが小さくねえか?」と気が付いてしまった。ここから少し元気がなくなった。
このシワクチャでサイズの小さいやつを着るために僕は10キロも痩せ・・・いや、気にしないほうがいい。


披露宴は夕方に終了した。会場のトイレですぐにスーツを脱いで着替えて、引き出物が割れないようにこのスーツでくるんで、梱包して、コンビニで家に送った。身軽。

原宿に移動して、二次会から参加する友達とも合流。みんなで二次会会場へ。
ご飯美味しかったし、ワイン飲み放題だったし、タワラ夫妻が幸せそうで大満足。
終盤で抽選会があった。景品が思いのほか豪華。肉2万円分のディナー券当たれ!と目を閉じて真剣に祈った。「蒸気でホット アイマスク」が当たった。これはこれで使い道は十分ある。

二次会終了。友達みんなで居酒屋に移動。主役のタワラ夫妻は、いろんなグループがあるので、それぞれが散って飲んでいるところを転々と顔を出す、という日程。

夜12時過ぎにタワラ夫妻と合流。まだタワラはそんなに酔っていなかったので「ほれ、これ飲め」と言ってウイスキーを渡したらイッキ飲みしたのでビビった。飲み干した次の瞬間に「うええええ、ウイスキーじゃんか・・・ウーロンty・・・」と何かぶつぶつ言いながら大量のよだれを垂らした。
「イッキの最中に気づかないものかな、普通」と私は思った。

そしてタワラはこの後すごい速さで酔いが回って、結婚式の主役らしくおもきり酔っぱらって、ホフク前進みたいな感じでタクシーに転がりこんで帰っていた。結婚おめでとう!!!


11月5日。月曜日。僕は何で東京に4日間も滞在してるんだ、まったく。かえろかえろ。

という事で昼に起きて、すぐ帰った。いやでも楽しかったな。二日目の昼以外全部楽しかった。

2012-11-10

ダイエットと結婚式

8月末に友達から結婚式の招待状がきた。11月頭に式だそうで。
もちろん披露宴から行くことにしたのだけど、普段スーツを着ない僕は24歳くらいの頃に買った一着しか持っていない。そしてあの頃から10キロ太っている僕はこのスーツが現段階で着れない。
こうなると「スーツを買い替える」か「体重を10キロ落とす」かの二択。

スーツを買い替えるほうが明らかに楽だし、経済的に考えてもダイエットのほうが金を使う気がしたのだけど、 そっちを選んだら僕はもう今後スーツが着れなくなるたびに買い替えて、年相応の体型になっていくんだろうなあと思ったら、それが嫌でダイエットするほうを選んだ。




ダイエット開始。夕飯はサラダのみにしようと決めた。朝と昼はいままでどおり。


3日後。ぬるいんじゃないかと気が付いた。炭水化物はしばらく諦めることにした。朝も昼も夜も米やパンの類は食べず。空腹感がすごい。


さらに3日後。ぬるいんじゃないかと気が付いた。ほとんどサラダのみでいこうと決めた。夕食で肉を1~2切れ食べる以外はすべてサラダにした。食べた後の口癖が「ああ、腹減った」になった。


さらに1週間。 ぬるいんじゃないかと気が付いた。順調に痩せていくもののまだ4キロくらいしか落ちていない。あと6キロもある。筋トレも追加。


さらに3日後。ぬるいんじゃないかと気が付いた。バイクを倉庫にしまった。移動はすべて自転車で済ませることにした。サラダのドレッシングのカロリーも気になってきたので、ドレッシングもライトな物へと変更した。


「これ以上厳しくすることはできまい」と、このスタイルに満足いった私はこの生活で一カ月を過ごした。にも関わらず体重は65キロ辺りで止まった。まだぬるいのか。
という事で、ダイエットサプリに頼る事にした。「イマーク」と「ナイシトール」を開始。


10月に入った。あと1カ月。あと5キロ。

朝7時にナイシトールを飲んで、30分くらい待ってからサラダ食べる。
朝9時に自転車で10キロくらいのお出かけをする。11時にナイシトール。1時にサラダ。
昼から筋トレ。3時にナイシトール。レコード触る。夕方5時にサラダとイマーク。食後に銭湯でサウナを中心に2時間ほど。帰ってきたらネットでレコードを物色。10時にナイシトール飲んで。12時には就寝。みたいな規則正しい生活が続いた。


10月2週目。停滞期を過ぎて、なんとか63キロあたりまで落ちた。人生ってつまらねえなあと思い始めた。


10月3週目。体重は順調に落ちていくが、それでもまだ62キロ。あと2週間で2キロいけるのかイマイチ不安なので、思い切って岐阜まで自転車で行くことにした。特に岐阜に用があった訳ではないけれど、ついでにヨウヘイ君の家に行って曲作りの打ちあわせした。ヨウヘイ君の家で空腹のままテキーラ飲んだせいで、帰りの自転車が地獄のようにツラかった。途中何度吐いた事か。


10月4週目。60キロ達成したのだけど、 あくまでも「サウナで絞ったあとの体重」というだけなので気に入らない。サウナで絞ったあとで59キロだったら満足だなと思ってダイエット続行。人生はつまらない。
今週末は自転車で三重まで行った。風祭さんとヨウヘイ君がゲストのパーティー。
記憶と携帯がなくなるまで飲んで、帰りの自転車が地獄のようにツラかった。


そして11月に入った。体重は朝食後に計測しても59.9キロだった。なんとか達成。
野菜の栄養だけでどれだけ体を酷使するんだ私は。と何度思った事か。カロリーないじゃないか。


そして11月2日。友達の結婚式前日に東京入り。
つづく。

2012-10-07

新宿と岐阜

先週金曜日。新宿OTOにて約7年続いたパーティー「ジャズ&ジャイヴ」の最終回。
最終回でも特別なことはせずいつもどうりやろうというタイプと、最終回だから張り切ってみようというタイプがいると思いますが、僕は完全に後者なのでレコードたくさん持って行ったし、つー君の誕生日だったのでカレーを作って持って行った。


結論から言うと、僕はあっという間に潰れた。起きたら体に落書きされてて、パーティーが終わっていた。
最後にレギュラーメンバーで写真なんか撮ったりして・・・という妄想は妄想で終わったし、それどころか動揺しまくって「いままでありがとうございました」の挨拶すらできなかった。
完全にいつもどおりの感じになってしまった。
最終回のやり直しをしたいくらいだけど、どうせ同じ結果になる。
まあカレーが好評でよかった。先月よりも6キロ痩せたのでみんなが驚いてくれるかと思ったら、ホッシーが12キロ痩せてたので目立たず。


そして土曜日。パーティーからの帰り。あまりにも早く潰れたおかげで朝はスッキリしていた。この爽快感も僕を凹ませたわけだが、とにかく体は良く動く。新幹線に乗って10時には帰宅。すぐに寝て、16時に起床。体調完璧。

夕方18時から岐阜OPUSにてヨウヘイ君との二人会「DOUBLES」。
「このパーティー後は特にDJの予定がない」というのと「昨日、不完全燃焼で終わった」という理由から、多めにレコードを持って行った。カフェでのイベントは張り切り過ぎても微妙な感じになる事が多いのだけど、気にせずに張り切った。

お客さんの入りが遅かったけど、そんなことは気にならず最初から最後まで全部楽しかった。


さてさて、しばらくDJの予定もないのでレコバッグからレコードを全部棚に戻して、いま聞きたい曲を全部ピックアップして、新しい組み合わせを考えてみたり、他のDJのミックスCDを聴いて感化されてみたり、のんびり制作してみたりしようと思います。

もうちょっとやれる事あるよな~とは思っているので。

2012-09-13

岐阜

9月8日。岐阜のパーティー「オレンジ」。ゲストDJはクボタさん。

最近ダイエットしていて夕飯はサラダくらいしか食べていないのだけど、初期のジャズ&ジャイヴを思わせるほどテキーラが飛び交うオレンジに空腹で 遊びに行くのは自殺行為だと思ったので、クラブ直前にヨーグルトふたつ食べた。一応、低カロリーの物を選ぶあたり我ながら乙女だなと思った。

クラブ到着後、しばらくしてテキーラのボトルを買った。ちょっと早い気もしたけど、油断してると誰かがボトル買ってしまって僕が買う必要がなくなってしまうかもしれないので早めに。
先週とこの日で、小西さん、平林さん、クボタさんにお会いできたので「ジャズ&ジャイヴお世話になりました」という意味も込めて、どうしても一本ずつは買ってお客さんに振舞って、盛り上げるのに少しでも役に立ちたかったので。

で、このテキーラが恐ろしいスピードで消えた。15分かからなかったと思う。さすがオレンジ。
で、もちろんこの後も誰かがテキーラ買ってた。さすがオレンジ。

あまりにも早いペースで乾杯しまくったので、クボタさんが来る前に倒れるんじゃないかと思って、意識のあるうちに「申し訳ありません」と謝罪のメールだけしておいた。まだ着いてから1時間もしないうちに。

しかし、さっきのヨーグルトが良かったのか、友達が女の子におもいきりビンタされているのを見て気が引き締まったせいか、それとも「先月のオレンジは…」と感傷的になっていたせいか、年に1~2回しか訪れない絶好調の日がきた。
ヤバい。倒れる。フラフラする。またかよ。あああ・・・・・・・・・あれ?大丈夫だ!!!みたいな感じで絶好調に気が付いた。酔うことは酔うのだけど、もうどれだけ飲んでも倒れる気はしない。

普通の状態でクボタさんに挨拶もできたし、みんなと乾杯もできたし、宮本君ぐったりしてたし、何人か「もう飲めません」と言ってくれたし、でも僕は倒れなかったし、脱がなかったし、泣かなかった。そして盛り上がってる最中ではあったけどすっと消えるように帰った。


なかなか良くできた日だったんじゃないかと思ったのだけど、次の日の二日酔いはそれ相応にしっかりと容赦なくきた。夕方まで胃のムカつきで悶えていたし、そんなに落ち込むような事したのか分からないけど、何かを思い出してはひたすら凹んでいた。


9月11日。わたしの誕生日。
特に誰かと過ごす予定もなかったからか、うちにワタナベがきた。ワタナベが来たことで「35歳のおじさん同士で傷をなめあっている」という構図が 完成し、ひとりよりもむしろ孤独を感じることになった。そういえばワタナベの誕生日の時も、あいつとわたしの二人きりだった。傷だらけだ。

9月12日。指が折れたんじゃないかと思って病院へ行った。
まずレントゲンを撮ってもらった時に、技師の人が撮れたばかりのレントゲンを見つめたあとで、わたしに「どこかお悪いのですか?」と尋ねた。折れていないこと確定。
そのあとでお医者さんが診てくれたが原因は分からず。とりあえず血液検査しましょうという流れになって終了した。

折れたかと思って病院行ったのに、折れてない、打撲でもない、なんでもない。なぜか血液検査。で、5000円払って帰宅。めちゃくちゃ恥ずかしかった。


さて、ここから告知です。

●明日、9月14日は「OUT&ABOUT / JOKE MIC」の発売日です。僕がプロデュースしまして、全12曲のトラック作りを担当しました。久々に仕事しました。よろしくお願いします。

●9月28日。新宿OTOにて「ジャズ&ジャイヴ」。最終回。
もう僕もほとんど東京に行かないと思うので、みなさんにお会いできたらと思います。
あと、僕がカレーを作って持っていきますので適当に食べてください。チキンカレーです。これだけは自信あります。

●9月29日。岐阜OPUSにて「DOUBLES」というパーティー。18時~24時。僕とヨウヘイ君の二人会みたいな感じです。最低でも3時間ずつはやる事になるのでレコードたくさん持っていきます。
あと、この日もカレー持っていきます。カレーが残っているうちにこれば1000円1ドリンク&カレーなのでお得かと。

名古屋

9月1日。名古屋でクラウンカフェジーニョというパーティー。ゲストDJは小西さん、平林さん。

もうあんまり覚えてないのだけど、遊びに 行って少ししたらテキーラのボトルをムネムネと半々で買って、みんなで飲んで、すぐに足りなくなって、またムネムネと半々でボトル買って、またみんなで乾 杯して、今日はこのくらいでと思ったら平林さんもボトル買って、なんか常にフリーのテキーラがカウンターにある感じだった。昔のジャズ&ジャイブみたいだ なと思った。

まあでも自分のペースで飲んでいたので倒れるほどではなかったのだけど、「飲み足りないから帰る」と言う安藤さんを引き止め た時にペースが崩れた。飲み足りないなら飲みましょうという事で安藤さんとテキーラなみなみで二杯半ずつ飲んだ。なんだかめちゃくちゃキツかった。酔いが いっきに回ってヤバい感じがした。もう無理もう勘弁してくださいもう満足してくださいと思った。でも「まだいけますよ」みたいな顔を作る自分の事が嫌いで はない。
幸い、安藤さんも若干苦しそうな顔をしていたのでさすがに「じゃあもう一杯」とは言わないだろうと思っていたけど、まさか「じゃあ帰る」 という言葉がくるとは想像もしなかった。そもそも「飲み足りないから帰る」の「飲み足りない」にさほど意味はなかったんだろうに、わたしが過剰反応してし まったようだ。そしてこの数分後からわたしは記憶がない。








おのれ安藤めえええええええええ!!!


そして朝になって、パーティー終わって、ビルの入り口で遊民たちと話をしている最中に意識が戻った。
ごはん食べて解散。

2012-08-25

大仏バーナイトと新宿ジャズ&ジャイヴ

木曜日は渋谷オルガンバーで「大仏バーナイト」というパーティーがありました。
酒飲みの酒飲みによる酒飲みのためのパーティー。

毎回僕だけが遠方からの参加なので、泊るところを大仏君が手配してくれるのですが、今回は「櫻井さんのところに泊ってください」と言われた。前回 は信頼のおける後輩の家を指示されたので安心して飲むこともできたのだけど、櫻井くん(同期)はヤバい。後輩じゃないから普通に俺を置いて帰る可能性大。 外で寝る可能性大。死ぬ可能性大。大なのであります。

さらに「携帯や財布は紛失すると厄介」という事で、事務所にて加藤さんに両方とも没収されたので、家なし、携帯なし、財布なし、現金のみ。というめちゃくちゃ危険な環境が完成した。

さらに「大仏バーナイト行く前に居酒屋で結構飲んで、思い切り遅刻」という豪快っぷり。今回の自分の行動や追い込み方は我ながら惚れ惚れする。


という事で、夜1時。オルガンバーに到着。櫻井くんが「俺が先帰ったら、タクシーの運転手にこの紙を見せな」と言って住所を書いた紙をくれた。まずは一安心といいたいところだが、朝までタクシー代が残ってる気がしないし、いま携帯もない。安心できる要素がない。


まあそれは良しとしてさあ飲むぞと思ってカウンターでみんなと何杯か飲んだ。

・・・・・もう朝。みたいな感じで一瞬で終わった。

気がつくと私は朝の渋谷を紙キレ(櫻井君の住所のやつ)持ってうろうろしていた。住所見たってさっぱりわからねーのに、どうにか頑張ってたどり着こうとしていた。かわいい!

意識が戻った僕は「むりむり。タクシーのろっと」と思って、タクシーに止めた瞬間に362円しか持っていないことに気がついた。が乗った。あとで櫻井君に助けてもらおうと思って。しかしやっぱり有り金全部いったか。そりゃいくわな。
そして櫻井君のマンションの前に着いて「ちょっとお金取ってきますから待っててください」と言ったら「いやもう、今持ってるだけでいいです」と 言ってくれたので362円きっちり渡して降りた。降りて違う方向へフラフラ歩いて行く私に「そっちじゃないよ!ここ!ここ!」って言ってくれた。優しい運 転手さんだった。

そして櫻井君の家で昼過ぎまで寝た。昼過ぎから櫻井君は用事があるみたいだったので、とりあえず下北沢まで歩いて事務所へ。財布と携帯復活。なんという安心感。

しばらくしてタワラ(高校からの友達)の家へ移動して、本格的に休むことにした。
時間はあっという間に過ぎていき、二日酔いも治らないまま夜9時になった。もう新宿OTOに向かわなければいけない時間なので、タワラんちの床に転がって「動けないよう。無理だよう。どうせDJ無理だよう」と10分ほど駄々をこねてから出発。

OTOに着いたらやたらに元気のないヨシ君がいた。ヨシ君も昨日オルガンバーいたから仕方がない。そりゃこうなる。

ざっくりと昨日の事を教えてもらった。私は何度も倒れて、逃げたりもしてて、でも捕えられてカウンターに連れていかれて散々ショットを飲まされていたらしく、毎度のことながら自分のことながら「かわいそうなやつだ」と思った。
あと、逃げて行方不明になったらしく、探して発見した時、私は泣いていたそうな。自分のことながら「かわいそうなやつだ」と思った。


家もない、財布もない、携帯もない状態でそこまで徹底的に飲む勇気はすでに優勝に値しているんじゃないかと思った。

あと、死ぬ気で勝ちにいっているにも関わらず、死にもしないし勝てもしない。悲しいなあと思った。死なない事は良い事だけど。

あと、昨日の参加者全員いまごろ自己嫌悪なんだろうなあ。みんなで凹んでるなら昨日の事は全部無かったことにならないだろうかと思った。大仏バーナイトで起こったことは全部忘れましょうみたいな風潮になってほしい。失うものが多すぎる。


まあ昨日のことはさておき、この日は「新宿ジャズ&ジャイヴ」です。
もちろん体調は最悪でDJ中にも何度か吐きにいった。吐きすぎて胃が痛くなった。山崎さんが胃薬をくれた。

もちろん酒を飲める状態ではなかったのだけど、ホッシーが「何かおごるよ。軽めにしとけばいいじゃん。何にする?」と言ってくれたので、正直ビー ルもキツイ感じだったのだけど「じゃあビールで」と頼んだら「え?なに?ビール???」って聞き返されて結局ウイスキーを飲むことになった。しかもオオハ タさん仕様のなみなみのやつがきた。これ飲んで大丈夫なのかなあと思ったら手が震えて、グラスの氷がカタカタ鳴っていた。全然進まなくて、この1杯を2時 間かけて飲んだ。
私はどうやらアルコールハラスメントを誘発させる何かを持っているようだ。

その後、カウンターで落合さんに挑発された。また私の何かが落合さんを刺激したのだろうか。にやにやしながら「神谷しょぼいな~。駄目だな~」と 執拗にきた。どんなにアオられても今日は飲めませんよ。と断り続けたが残念なことに根負けした。テキーラ3つ頼んでエリカちゃんを含めて3人で乾杯した。 エリカちゃんやヨシ君は「まじで飲むの!飲めるの!?」みたいな驚きと同情が入り混じったような表情をしていたが、落合さんだけはにやにやしていた。

飲んだ瞬間にその場で床にゲロ吐くというのを経験したことがないのだけど、このテキーラは危なかった。さっきまで散々吐いていたせいで吐くものがなさすぎて、テキーラが出てこないところへ行ってしまったからセーフだっただけで、それはそれで別にセーフでもない。


今回は朝に一曲交代ができなくて、普通に僕が30分くらいDJして終了した。


土曜日にカアリイがライヴやるので見に行こうかと思っていたけど、あまりにもずたずたになったのでやっぱり帰ることにした。


すごく疲れた2日間だった。
しかし、いつもなぜ私だけ倒れても終了にならないのだろうか。

2012-08-19

浜名湖

金曜日は浜名湖でDJしました。

昼からのパーティーなので朝が早かった。10時半くらいには鷲津駅に着いて、ハーフビー高橋さん、ムネムネと合流して会場へ向かった。着いてからしばらくダラダラ。やたら天気が良くて暑いのでほぼ控室に滞在。

中塚さんがインパクト強めの服装で現れた。このパーティーに合わせたらしく、水兵さんみたいだった。あまりにもハマっていたので「ま、まさか浜名湖側から船で来たんじゃないか?」と思うほどだった。


12時過ぎくらいからパーティー開始。私の出番は13時15分からなので、誰かを見つけてはテキーラ屋(テキーラしか売ってないテントがあった の)に連れてって乾杯した。テキーラ屋の人が「最初のお客さんなのでサービスしといたよ!」と言って大盛りのテキーラをくれた。次に誰かを連れてった時は 「あなたくらいしか飲みに来ないからサービスしといたよ!」と言って大盛りのテキーラをくれて、さらに次に行ったときは「毎回ありがとね。サービスし と・・・」いやいやいやいや、毎回じゃないか。倒れるじゃないか。



パーティー開始からわずか1時間チョイで私の出番だったのが本当にありがたかった。
DJが終わったあとは、ふと「出番前の人をつぶしてみよう」という衝動に駆られて、とにかくジャバループにからみまくったような気がするが、ぼん やりとしか覚えていない。あっという間に完全に記憶がなくなって、起きたらホテルにいた。携帯がなくて、服がカレーまみれ。そして、左の脇毛がちょっと少 なかった。何が起こったのか分からないが、体調だけは不必要なほどに良かった。



土曜日、朝10時。チェックアウトしてフロントでみんなと合流。私の携帯は無事ホテルにあったが、高橋さんはリュック丸ごと紛失したらしい。着替えがそっちに入っていたせいで服が昨日のままだそうで、朝っぱらから汚かった。先輩だが汚かった。
そういえば僕の脇毛がちょっと少ない気がするんですがと聞いたら「それ俺が抜いた」と高橋さんが満足そうに答えた。なんで抜いたのかが結局のところよく分からなかった。高橋さんをきっかけにしてみんなで私の脇毛をムシったそうな。
そういえば私カレーまみれなんですがと聞いたら「それも俺」と高橋さんが満足そうに答えた。
昨日、高橋さんはカレーを食べようと思って注文したのだけど、高橋さんは「星の王子様」レベルの激甘カレーしか食べれないらしく、もちろん昨日の パーティーで出たカレーも一口で無理と判断したそうです。無理と判断したその時、私が横に転がっていて「カレー置き場にちょうどいい」と思って、私の上に カレーを置いておいたらやっぱりこぼれた。という流れだそうです。
つけたしで「神谷君、白っぽいTシャツだったしさ。ご飯みたいじゃん。そしたらカレーのせるじゃん」みたいなことも言っていたけど、それだったら 僕の肌の色がすでにカレーの色っぽいので、高橋さんの力を借りずとも僕一人でカレーとして成立しちゃっているのではなかろうかと思った。

正直「カレーは服ダメになるから禁じ手ですよ・・・」と思ったのだけど、リュック紛失してぼろぼろの先輩を責める気は全く起きなかった。あ、酒が戻ってきた。と言って顔までまた赤くなってきている。すごい気の毒。

あと、私が二日酔いもなくやたらに元気な理由もわかった。私は昨日夕方4時には倒れてしまったそうで、ただ単純に「良く寝た」という事だった。



そんな感じでフロントでしばらく待っていると車でみんなが迎えに来てくれた。
ケイジュンが僕を見つけるなり近寄ってきて、こっそりと「神谷さん。昨日チンコ出てたのでしまっておきましたよ」と教えてくれた。特に表情には出 さずに「あ、まじか。ありがと」とお礼を言いながらも内心は「えええええええええええええええええ。また出したのーーーーーー!」と動揺しまくっていた。

藤本ヨウは昨日体に落書きされまくったみたいで、それが全然落とし切れていなかった。
二日酔いもひどいらしく、とにかく何も話せないほどでぐったりとしていた。ずっとうなだれていたのだけど、うなだれてうなじのところにでっかく書かれた「YO!」という元気な落書きとの温度差がすごかった。


みんなでハンバーグ屋さんに移動。移動の途中でヨウが吐いた。高橋さんも吐いた。かわいそうに。ハンバーグ食えない確定。

お店に到着。ヨウは店に入ることもできず外で倒れていた。高橋さんはヨウほどひどくなかったみたいで、お店には入れたもののずっと水を飲んでいた。 


ハンバーグ食べ終えて、高橋さんとはここでお別れ。めちゃくちゃ楽しかったです。
結局リュックは見つかったそうで、良かったです。



さて他のみんなで海へ移動。水着でもないのに、ハイカットのスニーカーなのに、晴れてもいないのに海。でも楽しかった。みんなバカだからだれか調子に乗ってずぶ濡れになるだろうなと思ってたが、まさかそれが私になるとは思わなかった。

マミちゃんに「昨日テープで神谷さんをぐるぐる巻きにして遊びましたごめんなさい」と言われたが、脇毛むしったり、カレー置き場にされたり、チンコしまわれたり(いや、これは悪い事ではないのだが)に比べたらかわいいもので、そんな程度ならシラフでやられても怒らない。

そして私の熱望していた鍾乳洞へ。人生初の鍾乳洞。
昨日の泥酔中にゼンを捕まえて「おまえは鍾乳洞すきか?」と問い詰めて困らせるほど、記憶のない私も熱望していた鍾乳洞。
写真嫌いの私が、千尋ちゃんにたくさん写真を撮られていたことに気がつかないほど感動した。


ここでみんなと解散。みなさんお疲れさまでした。今年のカランコロン過去イチで楽しかったです。

ムネムネと二人で旧本坂トンネル。心霊スポット部ひさびさの部活動。
去年は昼間だったけど今回は夕方。天気も悪いので全然怖い。

前回はセミが飛んだだけで、30半ばのおじさん二人して飛び上がったのだけど、今回は鳥が車を横切っただけで悲鳴を上げた。「うわ!」みたいな軽いのじゃなく「ああああああああああああああああああ!!!!」みたいな、もはや悲鳴じゃなく絶叫。
鳥肌も止まらないし、「去年ってこんなに細い道だったっけ?」とか無駄に不安になって怯えまくった。チキン二人。


そのあとは豊川の駅で降ろしてもらって解散。ムネムネありがとうございました。

豊川なので、ついでに豊川稲荷で賽銭を投げて帰ろうと思ったのだけど、門がしまってた。くそう。



みなさんお疲れさまでした。ご迷惑をおかけしました。

でもまた飲みましょう。

2012-08-15

岐阜

名古屋駅でカアリイを見送って、そのまま岐阜へ向かった。
しかし天気悪い。雷もすごいし雨もすごい。シェンロン出てきそう。

夕方。まず岐阜のOPUSに到着。いろいろ話しながらレコードを物色。
しばらくしてご飯を頼んだ。天津飯とトリマヨという新しいメニュー。
佐藤君が「神谷君は貧乏舌でなんでも美味しいって言うから味付けは適当でいっかw」と言いながら作っていた。もちろん聞こえていた。実際に適当に味付けしたかどうかは定かではないのだが文句なしに美味しかったのでよしとする。

23時くらいまでダラダラしてからB’sカフェに移動した。今日はヨウヘイくんたちの「オレンジ」というパーティー。狙って来たわけではないが、偶然にもヒデさんDJ復帰の日だった。なので早めに帰ろうと思っていたけど3時過ぎまで滞在した。

やけにテキーラが飛び交っていて、昨日の「一体なんだったんだ」の光景がここでも繰り広げられていた。そんな楽しそうな中、私だけが「バイクなのですいません」と寒い事を言っていた。

こういう時に一緒になって飲んで騒いだら騒いだで、次の日に自己嫌悪になるし、飲めませんと断ったら断ったで「さむい事をしてしまった」と落ち込む。僕はどうやったら落ち込まずに済むのだろうか。

でもまあ飲むだろうなあと思ったパーティーにはやっぱり電車で行くべきだと思った。


えっと、金曜日のRPMのDJ&スタッフの方々お疲れさまでした。ありがとうございました。
カアリイもお疲れさまでした。今後はゴリオとネコミでもお世話になります。

そして、土曜日のヒデさんDJ復帰おめでとうございます。回を重ねるごとにキレが戻っていくのを楽しみにしています。





さてさて、今週金曜日は浜松のパーティー「カランコロン」です。正確には浜松ではなくて鷲津という駅が最寄りの駅で、そこから徒歩1時間半くらいの場所です。Villa HAMANAKOというリゾートホテルを貸しきっての音楽祭です。

小西さん、ハーフビー高橋さん、中塚さん、ジャバループのメルテン、パオ、JOKEの子たち。などなど友達が多すぎて個人的にすごく楽しめそうです。DJも早い時間に終わるっぽいのでかなり気楽です。

名古屋BUDDHA

土曜日に名古屋ブッダでDJしました。たかふぇくんのパーティー「RPM」。
ゲストに僕とカアリイ。

夕方。家を出る前に、少し前から試してみたかった「酒の前に酢を飲んでおく」というのを試す。

そもそも、酢というのは酒から作られるそうです。酒が何らかの変化をして酢になるのです。
という事は、あらかじめ酢をたくさん飲んでおけば、そのあと酒を飲んでも飲んでも、胃の中に残っている酢と化学反応を起こしてすべてが「酒→酢」に変わるのではなかろうかという疑問がわいたのです。もしこれが成功したらどれだけ飲んでも全く酔わなくなるだろうし、飲めば飲むほど体にもめちゃくちゃ良い。
まあそんな実験は誰でも試しているかもしれないのですが、もしかして結構な量を飲めば多少は効果があるんじゃないかと思ったのです。という事でコップ一杯半飲みました。めちゃくちゃ辛かった。酢きつい。飲み干すまでに30分かかったし、この時点で吐いてしまいそうだった。

そして名古屋へ向かって、19時にブッダに到着。軽めにサウンドチェックをして、居酒屋へ移動。
居酒屋では食欲が全然なくて、酒しか飲まなかった。この謎の満腹感は酢とビールが原因と思われる。もうこの時点で「酢、ダメなんじゃないか」という空気がびしびし伝わってきた。

22時半にはクラブに戻って、すぐにテキーラのボトルを購入。みんなに「あそこのテキーラ。フリーだから適当に飲んじゃって」とだけ伝えて僕のDJ一回目。みんなで飲んでと伝えたはずだったそのテキーラは、ほとんど私に返ってきた。くそう。DJ前にできるだけ自分の手でみんなに配っておくべきだった。






DJが終わるともう完全に酔っぱらっていて、それでも2回目のDJまでは頑張らないといけないと気を張っていたつもりだけど、正直よく覚えていない。
そして2時からDJ2回目。3~4曲までは覚えているけれど、それ以降の記憶がない。


何時だか分からないけれど「電車にのったっぽい」という感覚だけあって、起きたら家にいた。もう土曜日の昼だった。くらくらする頭を抱え、まず「酢 意味ない」と思った。すこし怒りさえ感じた。

さて、カアリイとたかふぇくんがご飯を食べに行っているみたいなので合流せねばと思ってベッドから起き上がるも、転がる。起き上がるも、転がる。もう諦めて、転がる。やっぱり行かなきゃと思って、転がる。を繰り返すうちに14時までいった。

シャワー浴びてからなんとか動けるようになって名古屋へ。カアリイ、たかふぇ君とカフェで合流。昨日の話をした。みんな結構酔っていたらしく、カアリイは「最近酒を飲まない人が増えてる中で昨日みたいなパーティーは望ましいね~。とはいえ、昨日のあれはいったい何だったんだ」と言っていた。この「一体なんだったんだ」という言葉が妙にしっくりきた。人生規模でしっくりきた。

そうそう、そういえば僕の2回目のDJは、DJの途中でトイレへ吐きに行って、そのまま消えたそうな。
ちょこっとしたらもうカアリイを見送るために名古屋駅へ。



これカフェの前にて。バイク乗る前にサングラス掛けたら「ガラわるっ!それで写真撮ろう」と言われたので。


で、僕だけバイク。二人はタクシーで名古屋駅へ。
新幹線の乗り口でまた合流。合流する時にカアリイに「あ、ゴリオいたいた」と言いながらこっちに向かって手を振っていた。意味がわからなかったけど、さきほど撮った写真をカアリイが「ユニット名募集」とツイッターでつぶやいたらしく、その時に20代の女の子が「ゴリオとネコミ」と命名したそうで、そう説明されて「ふーん、そういうことか」と納得はしたものの「ゴリオ」というネーミングが思いのほか自分の弱いところをぷすっと刺したようで、何もコメントを返せなかった。お別れする直前になんてこと言うのよ。


そしてカアリイが新幹線の改札を通って、姿が見えなくなるまで手を振りながら、僕は「はあ・・・ゴリオかあ」と思っていた。


落ち込みながら、そのまま家に帰らずに岐阜へ向かった。つづく。

2012-08-01

ジャズ&ジャイヴ

7月末に新宿でDJしました。毎月の「新宿ジャズ&ジャイヴ」です。

今回はそんなに酔うこともなく元気だったので、朝方に小西さんと一曲交代やった。
クボタさんと一曲交代する時は「一曲一曲丁寧に」みたいな感じで、強引な繋ぎをするくらいならむしろ繋がないほうが良しとされる空気なのだけど、小西さんとの一曲交代はそれとは全然違ってて、丁寧さよりも「相手を驚かそう」というのを念頭に置いてDJしたほうが良さそうな感じ。
平林さんとは一曲交代をしたことがないのだけど、たぶん小西さんやクボタさんとも全然違う感じで、とにかく酒を飲むことになるんじゃないかと思う。

クボタさんが納得してくれるような選曲するのも難しいし、小西さんが驚いてくれるような繋ぎをするのも難しいし、平林さんが「もうそれ以上飲まなくていいよ」って言ってくれるほど飲むのは不可能とも言える。


毎月一回、こんな大先輩達にレクチャーしてもらう機会があるのは幸せなことかもしれない。


7月はマイコプラズマ肺炎になって家で大人しくしていたのでほとんど日記に書くようなことがありませんでした。8月10日は名古屋BUDDHAでDJします。カアリイも一緒です。よろしくお願いします。

2012-07-08

エビ

命の授業でハゼをサバいた次の日。起きるとケースの中のテナガエビは全滅して腐っていた。
昨日あんなに「食べる」という事について考えたのに、いきなり無駄な殺生をしてしまった。

このまま無駄死にさせてはいけないと思ったので、野良猫のエサにする事にした。これならエビも報われよう。庭の一箇所にまとめて放置しておいたの だが、仕事から戻ってきた親父に野良猫がこのへんに住み着いたらどーすんだすぐに埋めてこいと怒られたのでエビはやっぱり無駄死にした。なんまんだぶ。


数日後。今度はワタリガニを捕りに行った。ワタリガニを捕るにはまずエビを捕って、エビで小さな魚を釣って、その魚を刻んで網の中に入れて海に落として放置、タイミングよく網をあげるとたまに蟹が入っています。という捕り方。すげーめんどくさい。

まずエビを捕りに池に行った。めちゃくちゃ蚊に刺された。そのあと海へ。海の手前で「念のため」と言って、カズキがゴカイ(ミミズみたいなやつ) を自販機で買った。ゴカイが自販機で買える事にも驚いたが、それよりもまずゴカイで魚釣れるならエビいらねーじゃねえかと思った。痒いぞばかやろう。

さて、海に到着。釣り開始。
私はそういうのを持っていないのでカズキが準備し終えた釣竿を奪って早速開始。奪われたカズキは「くそう。釣竿はもう一本あるが針がねえ」とわめ いていて、ナベが「オレ針持ってるけど、欲しかったら土下座せよ」と言っていた。「何でオレが土下座なんだ。だったらナオアキがするべきだろ」とカズキは 主張したが、私は完全に無視して釣りを楽しんだ。
数秒後に膝をつくカズキの姿を確認したが、そこから先は彼のためにも見ないでおいた。

1時間後。何匹か釣れたので、ワタリガニを捕まえるための仕掛け作り。
と思ったらカズキがナイフ忘れた。ペンチしかない。ペンチで魚をひねるのは残酷すぎる。前回のハゼをさばいた時よりもハードルが高い。カズキと私で「おまえがやれ」と言い争いになった。
しかし、そもそもカニを食べるつもりがないカズキは強気で「じゃあ魚逃がすぞ」と言うので、ここは私が折れるしかなかった。魚の頭にペンチを当てて、目を閉じて「ごめんなさい」を連呼しながらペンチにチカラを入れた。なんとも嫌な感触だった。

仕掛けを完成させて、海に放置しておいたら結局一匹だけ捕れたが、小さかったのでリリースして帰宅。



そういえばエビでは全く釣れなくて、ゴカイが大活躍だったので、ほとんどのエビは海へ帰した。
淡水の池で捕ったエビだが。

2012-06-30

命の授業

●先週金曜日。新宿でDJしました。
夜中3時くらいまで女の子が一人もいなかった。もう今日は男だけなんじゃないかと思った頃に女の子が2人で来て、今日一番の盛り上がりを見せた。どの曲よりも盛り上がった。

●26日。火曜日。
カズキから「テナガエビ食いたいか?」とメールが来た。「食いたい」と返信したら「じゃあ取りに行くぞ。火曜の夜空けておけ」と返ってきたので、今日は夜から僕とカズキとナベの3人でテナガエビを取りに行った。ちなみに僕はテナガエビがどんなエビなのか知らない。

どこかの港へ向けて出発。車中はカズキとワタナベが本気で口論していた。
「オレは料理が出来る」とウソをつくカズキと「そんなわけないだろ。ずっと実家暮らしのお前が」とワタナベ。こんな程度の内容で30半ばのおっさ んが本気でキレるのもどうかと思うのだが、やたら白熱していた。こんな話題いつ収拾するんだよと少し心配したが、目的地近くになると「このへんだっけ?」 「もうチョイ先だ」と何事もなかったかのように穏やかになった。どこかの港に到着。

で、タモと懐中電灯を使って黙々とテナガエビを取り続けた。テナガエビというのは小指くらいの大きさのエビで、丸ごと素揚げにして食べるらしい。 予想していたよりもはるかに小さい。僕はパエリアやナシゴレンンに入れようと思っていたので「できるだけ大きなものだけを捕らえよ」と二人に命じた。料理 が出来るか出来ないかで本気でキレるような沸点の低い男達が、なぜかものすごく素直に受け入れてくれた。そして次々と捕まえて「これはどうだ?」「まだ小 さいか」と僕に尋ねた。

ちなみに二人はこのエビを食べるつもりはないと言う。
車で1時間以上かけて、釣りをするでもなく、黙々とタモでエビを取る。食べる目的でもなくて、こんな作業の何が楽しくて私を誘ったのかさっぱり理 解できなかった。もちろん二人とも楽しそうにも見えなかった。ただ、ハゼを捕まえた時だけは楽しそうだった。「コレも食うか?」と聞かれたので「食う」と 答えると、そのハゼもエアーポンプの付いたケースの中に入れた。


帰りの車中。二人はまた料理の話で白熱していた。
なぜそんなにキレるのかワタナベに聞いてみたところ「花粉症と同じだ。限界を超えた」と言っていたが、ぜんぜん意味が分からなかった。
みんなで牛丼食って解散。深夜に帰宅。

ケースからハゼだけを取り出した。エビは直前までこのケースの中で活かすとして、ハゼだけは生きてるうちに早くサバいたほうがいいらしい。生きたままの魚をサバくのは初めてだ。そもそも、魚をさばく事さえ今回でまだ2回目なのでどうやっていいのかほとんど分からない。

とりあえずワタナベから「最初に首を落とせば静かになる」と聞いていたので早速落としてみた。いや、落とせない。びちびちしてる。なんか、かわい そう。生きようとしている。手を離すとまな板から落ちてしまうので押さえつつも首が落とせない。ごめんなさいを連呼する私。びちびちするハゼ。勇気を出し て首元を切りつけてみるがなかなか切れない。包丁に体重を乗せるときの気分が最悪だった。なんとか切れたが、ハゼはまだ口をパクパクさせてたし体もびちび ちしてた。うろこを取って、内臓取って、開いて、ラップに包んで冷蔵庫にしまった後も、まだハゼの頭のほうは口をパクパクさせていた。おいワタナベぜんぜ ん静かにならねえじゃねえかばかやろう。
このままでは残酷すぎてこの頭を捨てる勇気がでなくて、しばらくハゼの動きが止まるのを待った。数分待っても止まらなかった。よく考えるとこの時 間もハゼは苦しいかもしれない。もう介錯したほうがいいと思った僕は「ごめんなさい。絶対に美味しく食べます」と声に出しながら頭を二つに切った。

「食べる」という事を考えさせられる出来事だった。

2012-06-18

鹿児島2日目。

日曜日。朝9時起床。なぜか二日酔いなし。

風呂に入ったり、いろいろ準備して12時のチェックアウトまでのんびり。と思ったらチェックアウトは11時だったので慌てて部屋を出た。フロント で能村さんが待っていてくれて、シュンさんが運転で3人で車で移動。車中は昨日の話など。ちなみに私と飲み続けたベイビーさんは昨日の会場で今も寝ている という事や、私が冷えピタを貼ってウロウロしていた事とか教えてもらった。あとスロットの話を熱く語ったり、ヤブちゃん可愛いですねという話など。

しかし車での移動が思ったより長かったのと、体力がゼロに近かったのが原因で、徐々に私の口数が減っていき、1時間ほどで完全に車に酔って、それ以降はコンビニを見つけるたびに停まってもらって吐いた。

フラフラの状態で着いた場所は「知覧特攻平和会館」というところだった。ここ知覧は戦争の頃に飛行訓練場があった場所らしく、若い男の人達が訓練 を受けて、2~3日泊まったあとで敵陣に向けて旅立って行ったそうで、その時のゼロ戦や遺書、遺影などが展示されている建物です。
最初は不謹慎とも言えるノリで、能村さんが「知覧特攻平和会館」に来てマースみたいなのをフェイスブックにアップしたりしていたが、入館後はあま りの重さにほとんど何も話さず粛々と3人で展示物を見て回った。「お母さん、不孝者でした」と書かれた遺書や、ボロボロになったゼロ戦に本当に涙が出そう になった。私は昨日パーティーで泥酔していた。当時の映像などを編集したドキュメントの上映時間であったが、それを見る勇気は無かった。テレビのモニター では、兵隊さんたちの泊まっていた宿舎でご飯を作り続けていたお婆さんの映像も流れていたが、これもまた見る勇気は無かった。私は昨日パーティーで泥酔し ていた。お婆さんは旅立つ兵隊さん達に毎回お花を渡していたらしく、しかし兵隊さんたちには必要の無いものなので捨てていくそうです。同じ場所に捨てられ ていたので、その一帯が今は彼岸花の咲き乱れるお花畑になっているそうです。シュンさんがそんな説明をしてくれました。もう何もコメント返せません。悲し すぎます。

3人とももう何も言葉が出なくなり、早々に会館を出ました。そして外にある「兵隊さんたちが最後に泊まった宿」を見ました。そこで遺書を書いた り、みんなで酒を酌み交わしていたそうです。敵に見つからないように地面を掘って、低く立てられた小屋に裸電球が2つ。窓はもちろんなく、全体的に薄暗 かったです。悲しいだけじゃなくて怖い気持ちにさえなってくる建物でした。

いろんな土地でDJさせてもらって、いろんなところへ連れて行ってもらいましたが、一番インパクトがありました。僕よりも若い人達なのに、僕よりも全然強くて立派なのが伝わってきました。この方達がいて、今の僕たちがいるんだと思います。
いろいろ考えさせられる場所でしたが、とにかく一番強く思ったのは「これDJ前に連れてこられなくて本当に良かった」という事です。

ただでさえ車酔いでほぼ無言の僕、それを心配してくれて口数少な目の能村さん、シュンさんの3人だったので、帰りの車内は本格的に何も言葉を発しない時間がしばらく続いた。とにかくさっきの知覧特攻平和会館に関して何も触れる事が出来ない。言葉が見つからない。


本当はこのあとフェリーに乗って移動して温泉に連れて行ってくれる予定だったそうですが、私の車酔いが悪化の一途を辿ったので、フェリーどころか もう車も無理であろうと判断してくれて、結局昨日の会場に戻って荷物を置いて、冷えピタを貼ってしばらく転がらせてもらった。なぜ車酔いに冷えピタなのか 分かりませんが、意外と効きました。

10分後くらいに奥村さんも合流。「じゃあ歩きでどこか行きますか?」という事になって、近くのジェラート屋さんに行く事になった。途中の薬局で 「車酔い」の薬を買っていただいた。車酔いの薬を飲むのは修学旅行以来だ。懐かしい。ジェラートのあとは黒豚しゃぶしゃぶのお店。めちゃくちゃ美味しかっ たのに全く箸が進まない。迎え酒を試みてビールを飲むも凶と出た。もう何も手が付けれなくなった。

そして、能村さんはこのあと仕事があるそうなのでお別れして、奥村さんシュンさんに空港まで送ってもらった。車だったので念のためもう一粒薬を飲んだ。お土産に三岳というお酒までいただいた。

鹿児島のみなさん本当にお世話になりました。めちゃくちゃ楽しかったです。
二日酔いか車酔いか、普通に酔っているかのどれかばかりで大変ご迷惑ご心配おかけしまして、申し訳ありませんでした。


そういえば僕は昼過ぎからずっと冷えピタを貼って行動していたのですが、自分でもスッカリ忘れていたのですが、飛行機に乗るときにCAさん数人に 「風邪ですか?大丈夫ですか?」と声をかけていただいたので、ああそうかこいつのせいかと思い出した。そしてどのCAさんにも「風邪ではなくて車酔いで す」と答えた。どのCAさんも少し不思議そうな顔をして一瞬言葉を失って、そのあと笑顔で「何かありましたら声をかけてくださいね」と優しく対応してくれ た。


月曜日。今日起きたら人生で2度目となる金縛りにあった。

鹿児島。一日目。

土曜日。14時半。熊本のみんなとお別れして新幹線で鹿児島へ。

この新幹線は席が広くて快適だった。乗客も少なめだったのでレコバッグを広げても平気な感じだったので、昨日ぐちゃぐちゃになったレコードを整頓しようかと思ったが、吐き気がひどくて、新幹線に乗車中のほとんどをトイレで過ごしたので、別に快適さは必要なかった。


鹿児島駅に到着。うろうろする余裕も無く、改札を出てすぐの場所に座り込んでうなだれている私を能村さんが見つけてくれて「はじめまして」のご挨 拶。初対面でこのテンションは失礼かとも思ったのだけど、無理して背筋を伸ばして挨拶したら吐いてしまいそうだったのでとにかく「申し訳ないです」と連呼 しておいた。

タクシーで会場へ。少しレコードを整頓しつつサウンドチェック。
チェック後はシュンさんに案内されて隣のホテルに移動。ここで2時間休憩。1時間半寝て、あと30分は風呂に入ったり着替えたり、また吐いたり。

2時間後、フロントにて奥村さんハマダくんとご挨拶。奥村さんとも初対面ではあるけれど、ガジェットの通販でお世話になっていたので「やっと会えた~」という感じだったのだけど、二日酔いの気分の悪さが前面にでていたので、この喜びは伝わっていなかっただろう。
そして3人でご飯に行った。

いろいろ話しながら二日酔いから回復。ビールしか飲まなかったけど、まあまあ飲んだ。
時間ギリギリになったので会場へ戻った。戻ると熟練DJのベイビーさんがサンバデジャネイロを流して盛り上げていた。この流れで私がDJをやっても大丈夫なのだろうかと心配になった。

そうそう、今回のこのパーティーは「50対50の巨大合コン」がまず先にあって、それの二次会的なノリなのです。なので普段クラブに来たことも無いような人達が多いパーティーなのです。
という事で、できるだけミーハーな選曲を心がける必要があるのです。僕のもっとも苦手とする感じで、だからサンバデジャネイロなわけです。

そして10分もしないうちに僕の一回目の出番が来た。ベイビーさんの気遣いで、僕に変わるこの10分くらいの間でエゴラッピン→ヒットザロード ジャック→生音(曲忘れました)という選曲をしてくれて僕に代わってくれたので全然やりやすくなった。やりやすくなったがさっきまで「おい!おい!お い!」と叫んで踊っていた若者たちは消えていた。
一応「ビートルズのカバーを多めに。BPMは120前後を多めに」を心がけて一回目は終了。あれでよかったのかどうか全く分からなかった。手応えなし。

DJ後、いろんな人を紹介してもらって飲んだ。さすが巨大合コンの後だなあという感じでかわいい子がめちゃくちゃ多くて、元気が出て酒が進んだ。ヤブちゃん上戸彩そっくりだったので、ヤブちゃんを積極的に飲ませようと心がけたが、手応えなし。

2回目の出番の頃には、普段からクラブに行っていそうなお客さん達ばかりになっていたので好きなようにやりたいようにDJした。

2回目のDJが終わってからはベイビーさんと奥村さん、いやほぼベイビーさんと二人っきりの状態で飲み続けて意識を失った。
どこで手に入れたのかも分からないのだけど、冷えピタを貼ってウロウロしていたみたいです。
もしこの時誰かに絡んでしまっていたら申し訳ないです。


女の子に囲まれて、浮かれて酒を飲んで、飲みすぎて、なぜか熱い男達のほうへ飛び込んでいって倒れる。と言うよくあるパターンになった。

とりあえず、熊本で燃え尽きてしまったので鹿児島は元気ないままで終了するかと思ったのにそうでもなくて、全然元気に潰れれたので良かった。

つづく

まず熊本

金曜日。熊本にてDJ。

あらかじめ「セントレアからと小牧空港からの便がありますが、どちらがいいですか?」と連絡がきていて、小牧空港を選んでいたので、まず空港から楽しみ。すごい懐かしい。

15時半。西春という駅からバスに乗り換えて小牧空港へ。
そして16時には小牧空港に到着。いろいろ楽しみたかったので18時くらいの飛行機だったのだけど、早めに来てみた。

来てみたが、後悔した。何もない。15年ぶりだが小牧空港はこんなにも小さな空港だったっけかと我が目を疑うほどに何もない。小さなレストランと 種類が限定されまくったお土産屋。他は搭乗手続きをする場所を除いて全て待合所となっていて椅子やソファーが並んでいるだけだった。

アイホンに没頭する事2時間。飛行機に乗って熊本に到着。
ぶぶるーと上田さんと合流。ホテルでチェックインをして、荷物だけ置いて会場へ。サウンドチェックをしてまた移動。シンジさんのお店「メラメラ」にて、僕、ブブルー、まりこちゃんの3人でご飯。

個室に案内されてまずこれ。



そしてこれ。







そしてBGMが僕の1stアルバムに切り替わった。
チキンラーメンの意図は掴めなかったが、とにかく過剰な歓迎ムードで引いた。愛情は伝わったのだが引いた。が、ご飯はすごくおいしかった。馬刺しはもちろん他も美味しかった。「DJ前はあなり飲まないようにする」と言いつつも、なんだかんだで酒も結構飲んだ。

で、矢舟テツローさんも熊本に来てライヴをしていたので、少し見に行って、またメラメラに戻って、少し飲んで、会場に移動。着くやいなやテキーラのボトルを購入。買うやいなやみんなに配り歩いた。

30分くらいで僕の出番が来て、テキーラのおかげで盛り上がって、矢舟さんが遊びに来てくれて、僕の出番が終わって、矢舟さんが一曲歌ってくれて、僕とぶぶるーで一曲交代をやって、私は意識を失った。



土曜日。昼。
目が覚めるとホテルに戻っていた。もちろん体調は悪い。チェックアウトの時間ギリギリまで吐いて、風呂に入る余裕も着替える余裕もなし。髪もぐちゃぐちゃだが余裕なし。
チャックアウト後、フロントでぐったりしている僕をみたブブルーが「えっと、神谷君はどこか熊本で行きたいところとかあ・・・・とりあえずカフェで休みましょう」と提案してくれてカフェに移動。

カフェの入り口の階段でブブルーが足を滑らせて見事な階段落ちを披露してくれた。3~4段滑り落ちた先にポスターが飾ってあって、そのポスターに 突っ込んでポスターが倒れてくる。という素晴らしいものだった。しかし、二日酔いの僕に笑う余裕はなかったし、階段から落ちたブブルーもあまりの痛さに照 れ笑いする余裕もなく、ふたりとも無言で店内に入った。

この店で1時間ほど滞在。上田さんも合流していろいろ話をしていくうちに二日酔いも回復。
ブブルーや上田さん周辺では今ボウリングに熱をあげているらしく、その話題になったとき、ひそかに「さっきのブブルーも、ポスター倒してストライクやん。さすが」と思った。

13時。二日酔いも回復したので馬のステーキを食べに行った。
14時半には熊本から新幹線で鹿児島に移動せねばならなかったので、食べたらすぐに移動。熊本駅へ。この移動中の車で車酔いした。

車に酔ったのか二日酔いが復活したのかは分からないが、みんなにお別れする頃には吐く寸前だったので、真っ青な顔をして弱々しく手を振るのが精一杯だった。

熊本のみなさんありがとうございました。
めちゃくちゃ楽しくて、次の日が鹿児島だというのに燃え尽きてしまいました。
お疲れ様でした。


そして鹿児島へ

2012-06-11

名古屋

先週土曜日は名古屋でDJしました。久しぶりに「クラウンカフェジーニョ」で。
今回は居酒屋で集合ではなくて、出番までに直接クラブに行けばOKという事で、結構ギリギリまで寝た。

僕の出番は12時半だったので、11時半にクラブ着。まだ酒を全く飲んでいないのでやたらに元気。
ムネムネと一緒にテキーラのボトルを買って、何人かと乾杯した。入りが遅かったのですぐに僕の出番が来た。

名古屋でロックを多めの選曲にしてフロアが全く盛り上がらない事がよくあったので、怖くなって、今回はレゲエとフリーソウル中心でやりきった。コレがまた盛り上がったかと言うと微妙なところで、僕の後に北澤さんがロック路線でめちゃくちゃ盛り上げていた。私は今回も選択を間違えたようだ。難しい。

その後、少ししたら僕と北澤さんで一曲交代。なんというか、マニアックな選曲のうえに、ガシガシ繋がれたので、終始押されっぱなしだった。選曲は予想通りだったけど、あんなにBPM合わせてガシガシ繋ぐタイプだとは思わなかった。勉強になったし、面白かった。

DJ後は気楽になったので、スピリタスというアルコール80%以上の強い酒を頼んで、僕とはらみちゃんとちさとちゃんで乾杯したが、ちさとちゃんは車だったので飲めず。はらみちゃんが「私が2杯飲みます」と言っていたがスピリタスが強烈過ぎて2杯目に手を出せず。とても辛そうな顔してたので、私はそれだけで満足。さて、残ったスピリタスはと言うと、ヤッスを見つけたので文句も言わさず口の中へと注ぎ込んだ。ヤッスもまたすごい辛そうな顔をして吐こうとしてトイレに向かって走り出すところを私に捕まってトイレにいけず。私から逃げるようにいろんなところを走り回った末に限界が来てフロアの端っこで吐き出した。せっかくの酒が勿体ない気もしたが、良い顔を見れたので満足。
そういえば、昔、中塚さんにこの場所でこの酒を飲ませたら消えた。消えて、見つからなくなって2回目のDJをやらず。朝になって外の階段とフェンスの間に挟まって寝ているところを発見された。それ以来、中塚さんは僕を見つけるととても分かりやすく逃げていく。そういえば、久しぶりに8月の浜松で中塚さんと一緒だ。ふむ。

パーティー後、はらみちゃんの夫婦に車で送ってもらって帰宅。



そして今週。金曜日。ブッダに陽一郎さんや松野くんが来てたので遊びに行こうかと思っていたけど、雨強すぎてやめた。なので、家で大人しく来週の熊本&鹿児島の選曲をした。酒を飲みながらやっていたらいつの間にかハードコアやミクスチャーを聞き始めて、気がついたら寝ていた。

土曜日。朝、起きると上半身は裸だった。そして私は風邪を引いた。
でも夜はクラブへ遊びに行った。朝まで滞在する元気はなく、3時くらいにこっそりと帰った。

日曜日。今日。JOKE MICのアルバムのプロデュースがほとんど終わった。あとはオープニング用の短いトラックを仕上げたらマスタリングに出して、私の役目は終了。


自分で作詞した曲も、2曲ともほとんど終わっているのだけど、そっちはどうもヤル気が起きない。しっくり来てない。だから後回しにしてスロットに行った。

ということで、今週金曜日は熊本でDJします。そして土曜日は鹿児島でDJします。
よろしくお願いしますm(_ _)m

http://boot-beat.blogspot.jp/p/dj-schedule.html

2012-06-01

新宿、札幌

先週金曜日。新宿にてDJしました。

小西さんもクボタさんもどこか他の場所でDJしてから新宿に来るので軽く遅刻するかもと聞いていたのだけど、小西さんはいつもどおりの時間にはOTOに到着した。クボタさんはその30分ほど後にやってきたが、それでもいつもよりは早かった。

土曜日は札幌でDJするので、酒を呑みすぎて明日の飛行機に乗れなくなると大変です。めちゃくちゃ怒られます。なので酒は控えめにと思っていたのだけど、数時間後には自分から「ロンリコ3つ!」とか言ってたのは覚えてる。飲みすぎて途中の意識が曖昧で、朝方に復活した。

そして、最後に僕の出番が来たのでクボタさんに「また二人でDJやりますか?」と聞いたら「今日はお客さんがそこそこいるからやらなーい。あれは少ない時だけ」と断られた。
断られましたと小西さんに伝えたら「じゃあオレとやる?」と言われたので二つ返事で快諾して朝方は小西さんと二人で一曲交代。

前回に負けないくらい良いDJをしようと頑張ったがあまりしっくり来なかった。小西さんも同じようにしっくり来なかったらしく、曲を変えるたびに 「ごめん!」と僕に言っていた。こういうのは流れとか調子にも左右されるものなのかもしれない。しかし、調子はどうであれやたら勉強になる。



土曜日。札幌でDJ。昨日ロンリコを飲んでしまったので無事に行けるか心配だったが何とか行けた。千歳空港に着いたとき気持ちが悪かったのは飛行 機に酔ったのが原因か、二日酔いなのか分からない。二日酔いどころかまだ普通に酔ってる最中だったかもしれない。ふわふわしてた。

久々にノックや凛花ちゃんに会った。みんな合流したら札幌のホテルへ。
チェックイン後2時間ほど自由。ひとりでスープカリイ侍に行って、露天風呂行った。
満喫しすぎて不謹慎な感じがした。

9時前には会場に行って、サウンドチェックをささっと済ませてご飯に行って、また会場に戻ってきてうろうろしてたら高橋君に会って、酒をくれて、 みんなにこっそり配り歩いて、店員にバレて気まずくなって、大人しくなって、僕のDJの出番が来て、DJ中にも酒飲んで、DJ終わったら気が緩んで酔っ て、いつの間にやらパーティーが終わった。

書き方が雑だけど、本当にこんな感じであっという間に終わった。
めちゃくちゃ楽しかったし、DJも「こんなに思い通りにできたのは初めてかも」と言うほど絶好調だった。小西さんやクボタさんとの一曲交代で鍛えられたのかもしれない。



新宿や札幌に遊びに来てくださった皆さんありがとうございました。スタッフの方々のお疲れ様でした~。

明後日、土曜日は名古屋でDJします。札幌の時のような感じで出来たらいいなと思ってますが、全く同じセットにしても同じ結果になるわけじゃないし、そもそも曲順も覚えてないのでどうなるかわかりませんが頑張ります。楽しみです。

2012-05-24

りんご音楽祭

とにかく朝が早かった。

5月19日は長野県松本市にて「りんご音楽祭」でDJしました。
僕の出番は昼11時半からだったので、特急しなのの始発にて名古屋から松本へ。
松本からシャトルバスでアルプス公園へ。10時着。

受付へと向かいながら「わさびステージ」 と「おやきステージ」をチラ見。
わさびステージは前回と変わらなかったが、おやきステージはかなり改善されていた。
受付にて名前を告げると、丁寧にスタッフの方がステージまで同行してくれた。これも前回と全然違う。

僕のやる「そばステージ」に到着。しかしメインのステージ以外に小さいブースが見当たらない。少し離れた場所にも見当たらない。スタッフの人に「ここですか?小さいブースとか無いんですか?」と確認してみたが、ステージはここだけだと言う。そばステージは当たりのようだ。

ステージ裏で今度は舞台監督さんを紹介される。これがまためちゃくちゃ丁寧な監督さんで、今の進行具合など親切に教えてくれた。とりあえずイルリメさんの後が僕だったのだけど、イルリメさんが遅刻して間に合わないのでタイムテーブルがどうなるか考え中との事。しかし、それぞれのアーティストが告知しているタイムテーブルを変えてしまうのはアーティストにもお客さんにも申し訳ないので「全体的に前につめる」という事はしたくないとの事。なんというか、前回とは比べ物にならないほど愛情のある対応だった。
これは「そばステージ」が当たりなのか、それとも今回は空クジなしなのか。

ちなみに前回はこんな感じ
http://boot-beat.blogspot.jp/2011/09/blog-post.html


で、監督さんに「どうなるか決まり次第、こちらから探して報告しますので休んでいてください」と言われたので、ビール飲みながら一旦「りんごステージ」を見に行った。りんごステージもDJブースが改善されていた。

またそばステージに戻って、近くで待機。時間通りに出番が来た。
「こういうのは無難にウケるだろうな」と思っていた曲を流した時はちゃんと踊ってもらえて、
「この曲は展開次第かなあ、難しいかも」と思っていた曲はしっかりと盛り下がった。
挟んでみたらどうにかなるかと思って、ウケそうな曲にそうでない曲を挟んでみたが、見事にウケそうな曲にのみ反応があった。コケてるときは照れたけど、総合的にはめちゃくちゃ楽しかった。

DJ後は三重のコージくんが挨拶に来てくれて、そのまま何杯か酒に付き合ってもらって、
よきところでスッと帰った。


前回は前回でインパクトがあって面白かったのですが、
今回は今回で普通に最高でした。みなさんお疲れ様でした&ありがとうございました。


明後日、金曜日は新宿でDJします。
また先月のように朝方に4人で一曲交代できたらなと思ってます。
たまには「一曲交代がメインの回」があったらどうだろうと考えたのですが、そうなるとパーティーの最中、ずっと4人とも手が離せなくなるから相当しんどいという事に気がつきました。

土曜日は札幌でDJします。
このパーティーの告知を見るたびに「今回はJAZZYな古き良き」みたいなコメントが書いてあるので、コメント通りジャズに寄せたほうがいいのか、それともフリーソウルにしようか、完全に無視して80’sロックで勝負に出ようか、と悩み中です。

2012-04-29

贅沢

4月27日。新宿でDJなので昼には準備をして出発。
 天気がいいのでバイクで行った。気持ちいい天気だなあと思いながら走ってたら道を間違えた。
 沼津のあたりで246号に乗らなければいけないのに、青看板に全然気がつかなかった。
おかげでそのまま一号線で箱根の温泉街を通った。景色が良くて最高だった。芦ノ湖も通った。 これは箱根旅行を計画する必要がある。なんてことを考えながらちょくちょくバイクを止めて景色を堪能していたら時間がずいぶん経った。微妙にDJに間に合わない気がしてきた。到着時間が心配になってきたこのタイミングで箱根を過ぎると雨も降ってきた。心が折れた。

もう小田原にバイクを停めて電車で行くしかない。いや、それしかない事は無いのだけどもう頭の中が「そろそろバイク飽きた。疲れた。もうイヤだ」でいっぱいになっていた。

 という事で小田原駅へ。駅周辺で小田原城の看板を見つけて「おお、小田原城行ったことねえ!駅の近くっぽいじゃないか」とテンションがあがったが、本格的に時間もやばくなってきたので大人しく駐輪場を探し回って、250CCのバイク停めるとこが全く無くて、諦めて、結局バイクで新宿に向かう事にして、ほぼ遅刻が決定した。もう心が折れているというのにまたバイク。雨も強くなってきた。ヤケクソで飛ばしたら夜9時に下北に着いた。なんとギリギリで間に合った。

夜10時。パーティー開始。
 最初にウイスキーを頼んだら、かなり量が多めだった。「この量をみるとオオハタさんを思い出すなあ。オオハタさんはいつも多く入れてくれてた」と何気なく言ったら、なんと、ヨシ君がジャズ&ジャイヴに初めて入ったときに、オオハタさんから最初に教えてもらった事が「神谷君のウイスキーは多めに入れてあげてね」だったらしい。なんかじーんときた。涙出そうになった。東京に引っ越したらまずオオハタさんのパーティーに遊びに行こうと思った。

久々にウエンツが来てくれた。ウエンツは僕に「はやく東京来い」と何度も言ってくるので「別に東京に興味は無い」と言い返していたものの、内心は「東京に引っ越したらまずウエンツを呼んで鍋でもしよう」と思った。

 ウエンツが「神谷は、いつか誰も相手してくれなくなったらホームレスになるのかな」と言った時にマミちゃんが「神谷さんをホームレスになんか、私やダイジュンがさせません」と横から入ってきたので、僕は「ホームレスになるわけねえじゃん」と突っぱねてみたものの、内心は「東京に引っ越したらまずマミちゃんに引越しソバを持って行こう」と思った。

 今回は雨が降ってたのでお客さんの入りが悪いかもなあと思ったら本当に悪かった。 朝方になるともうフロアには3~4人しか残ってなかった。

 でも今回はここからが楽しかった。 僕とクボタさんで一曲交代でDJすることになった。まず、クボタさんから「お客さんはもうこんなだから、そこは気にしないで、俺とお前、ふたりが納得できるようなDJをしよう」と言われた。こういう楽しみ方もあるんだなあ。正直この時のクボタさんがすごくカッコよかったので、今度僕も後輩に言ってみようと思う。

 で、一曲交代開始。クボタさんは僕の選曲や繋ぎをチェックして「これは俺が思う事だから気にしなくてもいいんだけどさ」と付け加えながら「早く繋げばいいってもんじゃない」とか「え~この曲のあとに、それ流すの~?」とかダメ出ししてくれた。実際、僕も「あ、これ違ったかな」と自覚したところをバシバシ突かれたので、理不尽な感じが全くしなかった。勉強になったし、面白かった。もちろんガシっとハマった時には「いまのいいね~」と褒めてくれた。

 しばらく二人でDJしていると、小西さんがブースに来て褒めてくれた。ここから小西さん平林さんも加わって4人で一曲交代。最近の小西さんはN&Gで一曲交代に慣れている事もあって繋ぎがもうキレッキレだった。平林さんは空気を読みつつもバンバン流れを変えてた。クボタさんも僕に指導しながらという事もあっていつもよりさらに丁寧にやってた。みんなすごくて、いままでのジャズ&ジャイヴで一番よかった気がした。

 僕はブースから離れて、落合さんと「このクオリティでこのお客の人数はすごい贅沢ですね~」と客観的に感動しながら話をした。DJの楽しさを再認識した。



最近、物はよく壊れるし、スロットはコテンパンだし、制作もあまり順調じゃないので「最近不幸だ。ストレスがすごい」と周囲に洩らしていたのですが、こうやって尊敬できる先輩達と一緒にDJできて、僕の事を気にかけてくれる友人や先輩後輩もいて、いまでも十分幸せだよなあと考えたら気持ちが少し晴れました。ありがたや。

2012-04-15

呑む、打つ

日曜日。パーティーの次の日。二日酔いで夜まで動けず。夜も動けず。でも上着をお店に忘れてきたので取りに行かねばならない。
「どうしようどうしよう」と言いながらトイレを行き来する僕をみて、おやじが「乗せてってやるから後ろで吐いてろ」と車で連れてってくれた。なんか懐かしい感じがした。僕は一生この人の子供なんだなあと思った。
私が親だったらこんな子供は絶対いやだが。


上着を取りに行った時に、二日酔いでフラフラしててアイホンを地面に落とした。最近は面倒になってカバーもしていなかったので、ガラス製のアイホンは一発で粉々になった。
早速、過去に粉々にしたことのある友達に「修理にいくらかかった?」と電話したら2万程度で新品に換えてもらったと言っていた。まあそれくらいで新品になるのなら、バッテリーの持ちも良くなる事だし、キレイになるしいいかな。と前向きに考える事にした。

最近、DJミキサー、PCモニターと連続で壊れたのでアイホンもとなるとちょっと痛いなあと思ったが、まあそれぞれ結構な年数頑張ってくれたので仕方ない。時期が重なっただけだ。
すぐに家でアイホン修理の為にデータのバックアップをした。いままでの14インチのモニターではなく、新しくなった22インチのワイドモニターはとても大きくて気分が良い。作業もはかどる。


データのバックアップ最中にふと「・・・無理。前向きとか無理。出費多すぎ!めちゃくちゃ悲しい!」と、感情が一気にあふれ出た。
ベッドの枕元にPCが配置してあるいわゆる「廃人使用」の私にとって、22インチワイドモニターは無用の長物であり、こんな至近距離だとめちゃくちゃ目が疲れるので、無意識のうちに徐々にモニタから遠ざかっていた自分に気がついてしまったことで、いままでの緊張の糸みたいなものがぷちんと切れてしまって、酒も飲んでいないというのに涙がこぼれそうになった。



月曜日。アイホンの修理に行く前にスロット。出来ることならここで2万勝ちして「出費ゼロでアイホンが新品になった。うわあい」とかツイッターで報告したいものだ。

が、現実はそう甘いものではなくて3万~4万負けた。財布にいくら入ってたか分からないので、いくら負けたのか正確にはわからないけど全部持っていかれた。ATMでお金を下ろしてアップルストアへ行った。アイホンの修理はなんと1万4千円だった。予定してたより6千も安い!と喜べるような精神状態ではなく「あっそ」くらいにしか思えなかった。
そして私はまたパチンコ屋へ寄って帰った。ここでさらに負けの上乗せをしてしまって、今日一日で約8万使った。

という事で、この日私がつぶやいたのは

「いまの僕なら死兆星を見つけてしまいそうなので、夜空を見上げるのが怖い」

だった。もちろん運任せで適当に打ってるわけではなく、中間設定以上狙い&500以上ハマっている台しか打ってない。


火曜日。完全に開き直った。もともと僕の人生はスロットに救われてきたので、スロットで失っても文句は言えない。運が悪けりゃ死ぬだけさ。死ぬだけさ。ふ~。

ということで今日もスロット。3000円勝った。嬉しくも悲しくも無い。

「アイホンの修理にいくらかかった?」と連絡した友達から「結局修理にいくらかかった?」と連絡がきた。心配してくれたのかと思ったら、また自分が粉々にしたらしい。あいつアホだ。


水曜日。今月負けた額のほとんどを一発で取り戻した。
帰宅後、お小遣いになりそうな制作の話もきた。

まだ死ななくていいみたいだ。

2012-04-09

S&B

土曜日。一晩中B2Bでアナログオンリーのパーティー「PLAY&ON」。
http://playon2011.blogspot.jp/2012/03/47sat-play-noel-release-party.html
シークレットゲストとして、僕と川西君で「S&B」というユニット名を付けて参加させてもらいました。

夜8時。東急ホテルのロビーに集合して、みんなで居酒屋に移動。
川西君に「どんな選曲で行くのよ?」と何度聴いても一度も一曲も教えてくれなかったので、川西君に酒を飲ませて私に有利な状況を作る事に徹した。

夜10時。会場に移動。サウンドチェックどころかミキサーの使い方もチェックしない私。執拗にスクラッチして何かをチェックする川西君。レコード70枚くらいしか持ってこなかった私。300枚用意してレコバック3つの川西君。

夜11時。パーティー開始。一組目はテリー&ドリーさん。「一曲目はやっぱりそれかw」と思いながら店を出てコメダ珈琲へ。ギャラガーさん、ノエルさん、僕、ムラナオ、川西君の5人。
コメダにいるときに「やっぱりあのレコード量じゃ不安だな」と思ったので、ナベに電話して僕の家からレコードを持ってきてもらう事にした。これで一安心。

夜12時くらいにまた会場に戻る。酒&泪&男&女さんの出番だった。少ししてマーティー&マクフライさんが始まった。バックトゥーザフューチャーを選ぶこの感性がたまらなく好き。一曲目はやっぱりあれだった。
その後は、つのだ&ひろさん。ひとりが「おっぱいが」という歌詞、もうひとりが「好き」という歌詞の曲を使ってジャグリングしてた。みんなすごいなあ。
そしてノエル&ギャラガーさんの出番。とにかく最高。ドミューンで観た時よりもさらに巧くなってた。カットインきれっきれ。すごすぎて引いた。自分の出番が怖くなって、落ち着かなくなってウロウロしてた。

そして僕らの出番。開始からしばらくはモータウンビートが連続した。こりゃ楽だと思ってたら「そろそろこの感じやめましょうよ」と川西君に言われたので方向を変えた。この後からはジャンルもコロコロ変えたのでめちゃくちゃ疲れた。川西君つなぐの巧いし早過ぎ。ついていくのが精一杯。川西君を選んでよかった。何曲使ったか分からないくらいで、すごく疲れたし、すごく緊張したし、すごく刺激的だった。

ツイッターで「ノエル&ギャラガーはすばらしかった!の一言で、S&Bは殴り合いみたいなB2Bだった」とか「カミヤくんの公開罰ゲームに見えた」とか書かれていたので、私の苦戦ぶりは大体しっかり伝わっていたようで安心しました。
ああいう感じで本格的にB2Bやるのが初めてだったので、次があるのであれば今回よりもいろいろと対応できるようになるとは思いますが、別にこういうオファーはこれっきりでいいんじゃないかとも思ってます。やるならまた川西君を指名しますがとにかく疲れました。

僕らの後はライオネル&リッチーさん。ここから私は坪内さんの期待に応えねばと思ってめちゃくちゃ飲みました。
パーティー終了予定が6時だったので残り2時間。DJ前まではほとんどシラフだったにも関わらず僕はきっちりと潰れた。たぶん2時間もかからずに30分くらいでさっと意識が飛んだ。川西君も道連れにして。

この時、緊張がほぐれた変なテンションと、めちゃくちゃな飲み方のせいでいろんな人に片っ端から絡んでしまったみたいでごめんなさい。本当にごめんなさい。



その後、私は鶴舞公園付近を歩いている最中に意識が戻りました。なんでこんなところを歩いているのか。なんでこんな寒いのに上着を着ていないのか。なんでもう朝になってるのか。いろいろ分からなくて混乱しました。

朝10時くらいにやっと帰宅。


つづく

2012-04-08

いろいろあった

木曜日。スロットで大負けして「もう俺の人生は終わった」と心から思った。
夜はヘッドホンで爆音にして河島英五を連続リピートしながら酒を飲んだ。自ら追い討ちをかけるようなこの行為が私を奈落の底へと突き落とした。とんでもない悲しさだった。


金曜日。起きると目がパンパンに腫れていた。奈落の底から何人かにメールもしていたようだ。もちろん相当な泣き言を。そしてウォッカの空瓶が転がっていた。寝起きからこれだけの物を見てしまうと「起きなきゃ良かった」とさえ思えてくる。

とりあえず昨日の大負けのせいで財布の中が空っぽだし、バイクのガソリンも空っぽだったのでコンビニATM行って、ガソリンスタンド行って、スロットに行って、勝って、銀行に行ってさっきおろした金をまた貯金して帰ってきた。

夜は友達が泊まりに来た。せっかくなので近所の共通の友達も数人呼んで酒を飲んだ。昨日とは真逆のとても楽しい酒だった。そして私はいつの間にか寝ていた。


土曜日。朝8時起床。泊まる予定だった友達は布団ひいて寝ていて、他の友達は帰っていた。寝ている友達を昼まで放置して、その間に部屋の掃除をした。掃除の最中にPCモニターを壊してしまったので、昼に友達が起きて帰るときに、私も準備をして電気屋に出かけた。急な出費ではあったが14インチから22インチワイドに変わったので素直に嬉しい。

とはいえ、ベッドの枕元にパソコンが設置してある「廃人使用」の私にとって22インチワイドはとても目が疲れるので、それなりに距離を置いてパソコンを触るようになった。

夕方に少し仮眠をとってから名古屋へ移動。今日はDJやる日。

長くなりそうなので、ここで一旦区切ります。

つづく。

2012-04-01

わくわく

4月7日(土曜)は名古屋のParty'zという場所でDJします。
http://playon2011.blogspot.jp/2012/03/47sat-play-noel-release-party.html
ノエル&ギャラガーさんに合わせて、DJ全員が2~4人組のユニットを組んで、一晩中B2Bという面白い企画のパーティーです。
告知の最後に書かれているシークレットゲストとしてお誘いをいただきました。

最初、坪内さんから「誰と組みたい?ヨウか遊民にしてくれると助かるけど」というメールをいただいたのですが、ワガママを言って川西君を指名しました。ギャラガーさんを師事している私としては、ノエルさんを師事している川西君と組むのが「弟子同士」という感じで面白いかと思ったので。出来ることならユニット名もそのまま弟の「リアム&ギャラガー」でいこうかと思ったのですが、ギャラガーさんの部分がカブってしまうのでやめました。

ユニット名は他に浮かばないので「川西君決めてねえ」と連絡したら、しばらくして「カミヤとカワニシのKとSUGURUのSとNAOAKIのNにちなんで『K & K 磁石ズ』なんてどうでしょうか。」という返事がきた。僕とは発想の出所が根本的に違うようで、度肝を抜かれた。
他の方々のユニット名と見比べて仲間はずれ感がすごいし、キン肉マンにでも出てきそうなタッグ名がたまらんと思って「最高。これでいこう」と返信した。

早速、坪内さんに連絡したところ即答でNOをいただいた。まあちょっとそんな気はしていたのだが。さらにコレを川西君に伝えると、思った以上に磁石ズが良かったらしく「じゃあスライ&ザファミリーストーンとかでいいです」とぶーたれていた。とても可愛かったが、思った以上にぶーたれるので面倒になって「私に言わないで」とバッサリ切って名前を変更する事にした。

数時間だか数日だか後になって、カレー粉の”S&B”の缶を見て「あ、スグルとブートビートじゃん」と思って、川西君にこれを写メしたら「もうそれでいきましょう」という妥協した感じの返信がきた。磁石ズで押せなくてごめんよう。しかし、私もこれはアイデアのひとつとして送っただけで別に気に入ってない。
さらに、S&Bは坪内さん的にも微妙だろう。普通にアーティスト名から付けて欲しいはずだ。
思ったとおり、坪内さんからの返事は「もうそれでいいよ」という妥協した感じだった。

それなりに悩んだ挙句、誰ひとり満足しない形で収まってしまった。こんな収まり方もあるんだなあ。
ネーミングだけじゃなく、僕と川西君のコンビは何かとスムーズにいかない感じがしている。


7年前、小西康陽さんから「神谷くんと川西君が組んで曲を作ったら、試聴するまでもなくレディメイドからリリースするよ」と言われたことがあった。この瞬間すでに磁石ズは結成され、私は早速サンプリングネタを15パートくらい録音して川西くんの家に泊まりこみの制作合宿をしに行ったが、川西君はスクラッチばかりやってて作業が進まず、私はデジパフォが使えないのでマニュピレートすら出来ず、どちらも役に立たないまま何も形にならず一日で磁石ズは解散した。
お互いにピンで動いたらちゃんとレコード出せていたのに、組んだら何も出来なくなるというパターンもあるんだなあ。

あの日以来、二度と組むことはあるまいと思っていましたが、こんな形で再結成できてワクワクしています。

この前、新宿で会った時に「川西君、スクラッチばかりやって私の繋ぐ時間を削るのやめてな」と言ったら「神谷さんも変な曲かけないでくださいよ。ああいうのは大ネタ主体でガシガシやればいいですから」と返ってきて、相変わらず噛み合わない感じが漂ってきてますますワクワクしております。コンビの相手に藤本ヨウを選んでいたら大体全てが想像できてしまうのに対して川西君だと何も読めない。さらに、ノエル&ギャラガーさん達が「打ち合わせは一切しない」というのに合わせて私達も無し。


とはいえ「俺と川西君が組んで失敗するわけがねえ」なんて強気な心も持っていたりします。
出演者の量からして出番は長くないと思いますがかなり楽しみです。他のユニットのDJも楽しみです。こんな企画を実現してくれた坪内さんに感謝です。

2012-03-28

まとめて

●保育園からの友達を呼んで、カズキからもらった変な酒を飲んだ。空瓶がずいぶん増えてきた。

●東京いってきました。「新宿ジャズ&ジャイヴ」です。何ヶ月ぶりかにロンリコを自主的に飲んで自爆しました。落合さんとボサダさんを道連れにできたっぽいのでまあよしとします。いや、よくない。

●次の日に二日酔いのままボーカル録音の立会いをしました。これが私の初作詞した曲なのですが、「ハングオーバー(二日酔いという意味)」というタイトルで、この日の僕そのまんまな内容だったこともあり、録音中は終始赤面しておりました。

●日曜の朝イチに帰宅。すごく疲れてたようで24時間中20時間は寝た。姪っ子が部屋に遊びに来ても目を閉じたまま追い出した。あれで嫌われてしまったらどうしようと今になって思う。

●昔DJをやっていた友達がレコードをくれた。ロック、メロコア、ハードコアの補強ができた。

●急にミキサーが壊れた。最初に「なんか低音が割れるなあ」と思って、音量を上げたり下げたりして確認。次に、分解して「自分で解体しても基盤だらけでさっぱり分からない」という事を確認。一応なんとなく基盤を触ってみる。そして、繋ぎなおしたら悪化していて、一部音が出なくなった。

オヤジに車を借りて楽器屋へ修理に行くことにした。オヤジは「朝っぱらからうるせえなあと思ったら、最後におまえの悲鳴が聞こえて静かになった。あれはそういう訳だったのか」と、何を納得したのか快く車を貸してくれた。

2時間後、修理代2万オーバーと言われてしょんぼり帰宅。ミキサーは押入れにしまって、代わりに昔使っていたミキサーを取り出して配線してみた。最初は「おお、初めてタンテを買ったセットに戻った」と感動したが、EQがないし、ヘッドホンモノラルだし、音も悪いしで3分しないうちにこいつも押入れにしまった。

●DVDで「センターオブジアース」を観た。その1週間後にテレビでも放送してたのでそれも観た。でも、別に好きなわけではない。もうすぐナショナルトレジャーもテレビでやる。もちろん観る。

●アイコン作りをしていたら楽しくなったので、ブログを改造してHPっぽくしてみた。
この画面の右側にディスコグラフィとかDJスケジュールも作ってあります。簡単に書き換えできそうなので、こまめに更新しようと思います。

●draw somethingというアプリにハマっています。
お題がだされて、その絵を描いて、相手に当ててもらう。というのを繰り返すだけなのですが、絵心があっても表現力のない人、汲み取るのがやたらに上手な人、そもそも言葉の意味を間違えて絵を書いてる人。いろんな人がいて楽しいです。

2012-03-15

酒が飲めない。

●調子に乗って酒を飲んでいたらすごく胃が痛くなりました。二日酔いとも別種の手応え。
病院に行こうかと思ったのだけど、ふと胃カメラの事を思い出したので、胃に関する不具合はよほどの緊急事態でないかぎり耐えることにした。胃カメラは胃痛よりもはるかに痛い。

とりあえずネットで胃痛の原因を調べてみると、ストレス、暴飲暴食、刺激物などなど当てはまる項目が多すぎて胃に申し訳ない気持ちになった。これならどうせ病院に行ったとしても、胃カメラをぐいぐいと突っ込まれて「ちょっと荒れてますね」と言われたあとで、そんな生活してたら当然だと言われて、胃薬をもらってとぼとぼ帰ってきて終了、に違いない。


●酒を控えているので、寝る前は大人しく映画を観ています。カズキが大量のDVDを流出させて、それが全てウチに回ってきたので映画はしばらく観放題です。酒といい、映画といい、ありがたいことです。

昨日、何気なく選んだ「私の中の消しゴム」がとんでもなく泣ける映画でビビった。「いま会いにゆきます」や「1リットルの涙」くらい泣いた。終わってから巻き戻してまた泣いた。眠気が吹き飛んだので「ヘルボーイⅡ」で気を静めてから寝た。しかしあの「巻き戻してまた泣く」という行為は一体なんだったのか。自分でも分からない。


●かなり前から、りんご音楽祭に関わるツイートを古川君(主催者)が片っ端から公式リツイートしている。昼夜問わず。知り合いかどうかもおそらく問わず。

もしかして内容も問わずリツイートしているのではないだろうかと思って「りんご音楽祭」とだけツイートしてみたが、これはスルーされた。大変むなしい。




古川君だけじゃなく誰からも何も突っ込まれないこと数時間。恥ずかしさに耐え切れなくなって「ナショナルトレジャーを観ました」というどうでもいい内容でかぶせてみたが、この映画のチョイスがなんとなく恥ずかしさを悪化させた。

2012-03-12

3月頭。家にある酒が尽きたので買出しに行こうと思っていたら、いいタイミングでワタナベからメールがきた。「いまからカズキんち行くけどおまえも行くか?変な酒いっぱいあるぞ」という内容。

しばらくすると車で迎えに来てくれて、カズキの家へ移動。すぐに「酒はどこだ」と催促するとガレージへ案内された。
そこにはカズキの家族が「これは飲まない。もしくは飲めない」と判断した酒がダンボールいっぱいに放置してあった。感動した。見たことない酒がいっぱいだった。何語なのか分からないようなのもあって、僕はこれを全てワタナベの車へと積み込んだ。

カズキの部屋に戻ると3人で格闘の録画したやつを見て深夜に帰宅。


酒瓶を部屋に並べてみて一本ずつ確認した。「蒙古王」という度数も何も書いてない酒があった。酒かどうかも分からない。他にも漢字だらけのやつが何本かあったが全て度数が記載されていなかった。あっちの国の人はそういうのは気にしないのだろうか。他には「maple syrup」と書いてあるモノもあった。これはそのままメープルシロップと読んでいいのだろうか。酒じゃないかもしれない。「原酒」というシンプルなタイトルのブランデーがあった。十勝産。度数が60もあってビビった。ほろ酔い状態からこいつに手を出して気がついたら昼だった、という日が必ずくる。

とりあえず適当に開けて飲み始めた。普段飲み慣れていない酒は妙に回るのでアッサリ泥酔して、気がついたら寝ていた。
そして「酔って部屋をめちゃくちゃにしてしまった」という夢を見て、昼に目が覚めた。夢で良かったとホッとして部屋を見たら似たような光景が広がっていて、そういえば昨日飲んだなと思い出してすごく混乱した。どこまでが夢で、どこまでが現実だったのか全く分からなくなった。夢の部分も確実にあるので絶対に「全て現実」という訳ではない。しかしUSTをやったのは現実のほうで、部屋をめちゃくちゃにしたのも現実のほうで、友達が来てたのは夢のほうで、屋根に上って遊んだというのは確認不可能だった。夢よりは若干部屋がキレイだったのでまあよしとする。


「原酒」の瓶はもちろん開いていた。

2012-02-17

できること、できないこと

●おばあちゃんの息が止まったというので家族全員で病院に行ってきましたが、モノがのどに詰まっただけでした。お見舞い時間15分で終了。せっかくなので犬山城に寄って帰りました。行ったことがなかったので。

城に入る前に「おもがる石」という30センチくらいの石を発見。説明板に「神様に願い事をしながら持ち上げる。軽く上がればその願いは叶う。叶わないときは重く感じる」と書いてあったので僕もやってみた。もちろん軽かった。石がこれの3~4倍くらいのサイズだとしても、顔を真っ赤にして持ち上げたとしても、僕は「軽かった」と言うだろうし、それ以上のサイズだったらやらなかっただけの話だが、とにかく僕の願いは叶うようだ。
こんな観光地で、まだ城も見てない段階で「夢が叶わない」なんていう挫折の不意打ちを食らいたくはない。

テンションがあがったので、いたるところで武藤敬司のポーズで写真を撮ったが、今見ると恥ずかしいのでアップはしません。撮ってくれていた妹はリアルタイムでこの恥ずかしさに気づいていたことになる。しばらくあいつとは会えない。


●作詞をしました。
初めての作詞なのでさっぱり分からず、とりあえずいろんな曲を歌詞に着目しながら聴いてみたのですが、酒をテーマにしようと思ったからといって安直に河島英五ばかりを連続リピートしても酒が進むだけで作詩は進まないことは分かった。
オバ君に作詞のコツを聞いたら「裸になることです」と言われたが、肉体的に全裸になることはあっても、精神的なほうで裸になるのはちょっとキツい。
という感じで、昨年末から「やらなきゃ」とは思っていても全然勇気がわかなくて、一曲目が形になるまでに2ヶ月かかりました。日記のようにはいかなくて苦労しましたが、結果的には僕らしい感じになったので満足しています。

●そして仮歌。
本番ではちゃんとした歌手の方に歌ってもらうのですが、その前にまず誰かが歌わないと、どう歌っていいのかが分からないので仮歌は必須かと思われます。で、これをオバ君に頼んだところ「それはいやです」と即答で蹴られたので自分で歌うことにしました。歌に自信はないけれど、ここは照れている場合ではない。

「作詞が失敗した場合は、無理に続行せずインストとしてリリースしよう」と思っていたので、曲は気に入っていて気持ちよく歌えたのだけど、歌い終わってみて編集するときに自分の歌声の気持ち悪さに凹んだ。これは使えないなと思って、何度も歌い直ししてみたがだんだん悲しくなってきた。このままではどう歌えばよいのかが全く伝わる気がしなかった。それでは仮歌として成立しない。恥ずかしいも悲しいも通り越して、困った。

困ったあげく、このなんともコメントのしようのないデータをオバ君に渡して「どう?なんとか伝わるかなあ?」と聞いたら「やっぱり僕が仮歌やります!」と志願してくれた。



犬山城で「歌手になりたい」と願いながらアノ石を持ち上げていたら骨折していたかもしれないな。と、ふと思った。

2012-02-07

2月 さらにつづき

まだオチャノバ滞在中。僕だけ上着を羽織って。

僕の帰りは「22:40新宿→東岡崎駅(愛知)5:00」という夜行バスだったので、新宿までの電車を調べてくれた。湘南新宿ライナーの最終便がちょうど良いらしくて、乗り換えの必要もなく、バスを待つ時間もほとんどないのでそれで帰ることにした。

それに合わせてオチャノバに滞在。
ここのオーナーのコウヨウさんが変わったヘッドホンを持っているという事で見せてもらった。電話型だった。受話器の部分だけのヘッドホンなら市販されてて見た事あったけど、電話の本体ごと使ったヘッドホンは初めて見た。



しかも、聞くだけじゃなくて、しゃべるほうはマイクになっているし、受話器を置くとラインがオフになるという徹底ぶり。すごい。


時間が来たのでオチャノバを出て、一旦荷物を取りに戻ってから古河駅。
駅に着いても「まだ少し時間ありますので、外は寒いので車で待機してください」とリョウスケ君が気遣ってくれたので5分前まで車で待機して、リョウスケ君たちと解散して、スムーズに電車に乗った。「ああ、栃木楽しかったなあ」と思いながら出発を待っていたのだが、ふと「あれ?そういえばこの電車で大丈夫だっけ?逆方面じゃないだろうか」という不安がよぎった。夜行バスぎりぎりの時間に着く予定なので、逆方面に乗ったら間に合わなくなる。という事で一旦電車を降りる。電光掲示板で確認。この電車で合っている。ドア閉まる。僕は乗っていない。電車出発。電車の最後尾にもしっかりと「湘南新宿ライナー」と書いてあって、だんだん見えなくなっていく。みるみる血の気が引いていく。電車は行った。しばらく何も考えれない。本当に何も。


途方に暮れていると、電光掲示板に次の電車が書かれて、一筋の光が見えた。
調べなおすと、新宿からの夜行バスは10時40分に集合して、出発は11時00分だった。で、この表示されている電車に乗ると10時45分に新宿に着くことができる。駅から改札に出るまでも少し時間がかかるし、駅からも微妙に距離があるのを考慮して、それでも急げば11時ぴったりくらいにはバスに辿り着ける気がしてきた。

という事で、20分後の次の電車に乗って新宿へ向かった。全然落ち着かないのでツイッターでつぶやいたりした。

10時45分。新宿に着いて、走りながら、夜行バスのスタッフの携帯に電話をした。一応連絡さえ入れておけば融通が利くかもしれないし、融通が利くなら走らなくても済むかもしれないからだ。

スタッフの人は「11時には出発しますので、できるだけ急いでください!!!」と僕を励ましてくれた。やんわりとではあるが”少しも待ちませんよ”という強い意志が伝わってきたので僕は走りつづけた。
過剰に頑張って、なんとか3分前にバスに乗れた。頑張った。

そして11時07分、夜行バスは出発した。特に慌てる様子もなく。7分遅れで。
最初から「7分くらいは待ちますよ」と言ってくれていたらコンビニに寄れたのに。ほとんど食べてないのよ、今日。

途中に寄った海老名SAに吉野家があった。休憩時間があと10分長かったら食えたのになあと思いつつ断念。そしてバスは定刻よりも1時間早く東岡崎駅に到着した。




朝4時の東岡崎駅はとても閑散としていた。




リベンジの機会を与えてくれたリョウスケ君、カラージャムの松本さん、DJの方々や遊びに来てくださった方々ありがとうございました。お疲れ様でした。

2月 つづき

●2月5日。昼に目が覚めた。昨日、DJ後に吐いていたらしく、おかげで二日酔いはほとんどない。

だらだらと準備をして、昼過ぎにラーメンを食べに行った。
移動中、ラーメン屋まで意外と距離があったのと、空腹と、若干の二日酔いのせいで車に酔って、僕は会話に参加できず、ひたすら黙って涙を流していた。

ようやくラーメン屋に到着。車から降りたとたんに元気が出た。
前にテレビで”中毒グルメ”として紹介されていた「火山」というお店。
まず具と麺が入っている熱い石鍋が出てきて、目の前でこの中にスープを注いでくれます。火山のごとく沸騰したやつが飛び散るので、それを紙で避けつつ2分待ってから食べます。
僕は昨日の夕食時、ビールに徹してしまったせいでかなりの長時間を酒とお茶で過ごしていて、空腹が尋常ではなかったので、この2分がとても長いものに感じられて、2分経過後に火山のごとくロケットスタートをしたものの、わずか一口で胃がびっくりして、僕の食欲は瞬時に鎮火した。
僕の脳は食べたくて幾度も箸を手に取ってみるのだが、僕の胃はひたすら黙ってそれを拒否し続けた。

このお店の目の前にハードオフがあったので寄った。最近のハードオフは「もはやレコードには力を入れていません」とびしびし伝わってくるお店が多いのだけど、その中でも「もう期待していないので全部100円でいいですよ」というお店と「力を入れていた頃に貼った値札を貼りかえるのも面倒なので、貼ってある盤はその値段でお願いします」というお店がある。前者はありがたいのだが、後者だと「意外と1000円オーバーばっかりじゃねえか」という事が多々ある。ここは後者だったうえにレーザーディスクの混入率もなかなかのものだったのでササっと見終えた。

次にプレミアムアウトレットに移動した。僕はキーホルダーとインテリア小物を物色。
いまごろになって胃も元気になってきたせいで、もうお腹が減りすぎて集中力が散漫だったが楽しかった。とても広かった。

そしてオチャノバというカフェに移動。もう空腹が限界だったのでサンドイッチを頼んだが「今日はもうパン類は終わってしまいました」という事で、トーストも何もかもが終わってしまっていた。
となると、飲み物で満たすしかないので「お腹が減ったらバナナがいい」という勝手なイメージからバナナシェイクを頼んだ。これが大当たりで甘すぎずめちゃくちゃ美味しかった。最高。ただ体が冷えた。この時期にシェイクはいかん。あやうくお腹的にも大当たりするところだった。
注文した時に、すでに店員さんから「すごく冷えますよ。寒くなっちゃいますよ?いいんですか?」と念を押されたにも関わらず「平気です」と言って頼んだので、いまさら「やっぱり寒くなった」とは言い難くて、僕はそっと上着を羽織って静かにしていた。すぐにバレた。

つづく

2月

●1月31日。JOKE MICのプロデュースが順調。トラックは全て提出し終えていて、ラップ待ちの状態。2日前に一曲だけラップのデータが届いて、それのミキシングが本日終了。マスタリングは他の人に依頼するので、僕がやるのはあと11曲のミキシング。ちゃくちゃくと終わりつつある。
夜12時くらいから酒飲んで就寝。

●2月1日。朝7時に目が覚めてトイレに駆けこんで吐く。昨日寝たのは朝5時くらいなのでまだ2時間くらいしか寝ていない。二日酔いにしては早すぎる。

昼12時。まだ吐き続けていて、すでに胃液も出ない状態。ただひたすら「オエエエエエエエ!」と言うだけ。言うだけなのになぜかスッキリする。胃を搾っているようなあの感じが重要なのだろうか。

昼3時。やっと吐き気はおさまった。今度はおなかが痛くなった。

夕方6時。寒気がしてきて、熱を測ったら38度近かったので、ようやく「これは二日酔いではないかもしれない」と思い始めて、病院へ行くことにした。病院は空いていたのですぐに診てもらえて、わずか1分程度で「風邪ですね」と言われた。おかしい、私のような引きこもり状態の人間が風邪をひく理由がない。



納得いかないがとりあえず点滴。今年すでに2回目。

帰宅後、熱も出て本格的に風邪っぽくなってきたので安静にした。


●2月2日。だいぶ回復した。でも明後日は栃木だから念のため安静にした。
JOKE MICからもう一曲ラップのデータが届いていたので、これを布団に入ったまま編集した。あと10曲。さらにオバ君からも音源データが届いていた。こっちはダメ出しする程度。しかもほとんどOK。

夜中になって「さすがにもう大丈夫だろ」と思ったので、布団から出て栃木の準備。
「このへんはこんな感じで」と、ざっくり曲順を決めている場所がいくつかあるのだけど、今日はその一部の具体的な繋ぎ方を決めた。
僕は、ビートの強い曲に関して「まあBPMさえ近ければ、アドリブでもきっちり繋がるだろ」と油断しているところがあって、でも意外と本番でキッチリできていない事が多いよなあとは思っていて、今日やっとそのへんの曲と向かいあった。意外とほとんど組み直しだった。


●2月3日。完全回復。アイホンをいじっていて何気に画像データを見ていて、点滴の写真の一つ前にこんな画像データがあった。



コレを見て、僕はある事を思い出して、ツイッターで自分のツイートを調べた。
これのせいであれば、僕は30日の時点ですでに風邪を引き始めていたが気がつかず、夜中に空腹を紛らわすために酒を飲んで寝て悪化してやっと気がついた。ということになる。

https://twitter.com/#!/BOOTBEAT/status/163673240097665025

頭だけじゃなく、結構いろんなところが冷えたようだ。


●2月4日。栃木のカラージャムというところでDJなので、14時に出発。
新幹線の中で作詞した。初めてのことで全然進まないのだけど、曲の方はほとんど完成しているので、いまさら「やっぱりできませんでした」は言いにくい。だから、こういう時間を使って作詞。
栃木に19時着。すぐにカラージャムでサウンドチェック。19時半には準備が済んで、みんなでご飯。前回、このパーティーでDJした時にテキーラを飲みすぎて、まともにDJできなかったので「今回はDJが始まるまでビールしか飲まない」と宣言してビールしか飲まず。これは良い心がけだと自分でも思うのだが、ご飯も食べずにビールに徹する必要はなかった。無理してでも食べておくべきだった。

21時。パーティーが始まるのでカラージャムに戻った。ビールを何本か飲んだ。徐々に「ビールだったらどれだけ飲んでもOKというわけでもないのかもしれない」と思い始めたし、誰かの誘いで結局DJ前にテキーラも1杯だけ飲んだ。それでもまだ倒れるほどでもないけれど、怖くなったので酒は一旦ストップ。

時間はあっという間に過ぎて24時。僕の出番。大丈夫、意識はある。わりとしっかりしてる。
おかげで開始から30分くらいは無難にDJできたのだけど、それ以降テキーラが次々と届けられて、それでもさらに1時間くらいは頑張ったはずだけど、結局DJ中に意識を失った。

気がつくと、パーティーが終わっていて、車に乗っていた。また意識を失う。

次に気が付いた時はリョウスケ君の家にいて、リョウスケ君の若い頃の写真を見ながら「金髪のガイコツだ」とケタケタ笑っていた。また意識を失う。

2012-01-18

音楽とかスロットとか

●最近レゲエやネオスカに興味津々です。昔はそんなに好きではないジャンルでしたし、いままで聴いてた音楽とかけ離れている気もしたのですが、よくよく考えればネオロカやポストパンクのバンドの人たちもレゲエやスカを演奏したりしているので順当な流れなのかもしれません。いまごろ気がつきました。

●「JOKE MICのプロデュース(12曲くらい)」「オバ君のプロデュース(3曲)」「自分の曲(4曲)」の3つを2月下旬までに全部終わらせて、4月から数ヶ月はスロットにどっぷり浸かろうと計画中。スロットに通い始めると、金銭感覚がマヒするのでレコードが爆発的に増える可能性もあって一石二鳥。
そんな事を考えていたらうずうずしたので数軒のパチンコ屋に下見に行った。北斗の拳やばい。楽しそう。

●来週金曜日は新宿OTOでDJします。新宿ジャズ&ジャイヴです。DJは小西康陽、クボタタケシ、平林伸一、BOOT BEAT。
小西さんが2月3日生まれ、クボタさんが1月19日生まれ、平林さんが2月18日生まれなので1月は御三方の誕生日を祝う月にしていますので、みなさん是非乾杯しに来ていただけたらと思います。

●そして再来週の2月4日(土曜)は栃木県でDJします。小山という駅にある「COLOR JAM」という所です。去年もここでDJさせていただいたのですが、その時にテキーラ飲み過ぎてDJ前から意識が飛んでしまったので、そのリベンジです。
このお店、残念な事にもうすぐなくなってしまうそうで、閉店する前にリベンジの機会を与えていただいて感謝しています。しっかりやります。頑張ります。

2012-01-14

泥酔。迷惑メール。連絡。

●熱で寝込んだ時にポカリスウェットを常備していたため、元気になってポカリが余った。
前に大仏君から「ポカリと酒を一緒に飲むとアルコールの吸収が良くなってすぐに泥酔する」と聞いた事があったので、調度良い機会なので試してみることにした。
最近の僕はウイスキーを1リットル飲んでも倒れない。おかげで、ここ2ヶ月ほど「意識がなくなるまで飲んだ」という日はない。久しぶりに泥酔できるだろうか。

●翌日。あっさりと泥酔できた事を確認。そして2ヶ月ぶりのこの不快感。
そういえば泥酔した次の日ってこんなにも暗い気持ちになるんだったな。なんで泥酔したかったんだろう。泥酔して良かった、と思ったことなど一度もない事を思い出した。

●ある日突然、起きたら10件近い迷惑メールがきていた。原因不明。無視し続けるも10分に1回以上のペースで送られてくるので本当に迷惑。それ でも6時間くらいは我慢したが、やっぱり邪魔なので受信拒否設定をすることにした。しかし、送られてくるメールアドレスは全部違っていて、それらを全部拒 否できるのか分からなかったけど「入力した文字がアドレス全体のどこかに含まれている場合は全て拒否」という便利な機能があった。早速、@の後ろのほうに 共通した文字があったので、これを登録した。

すると散々鳴っていた携帯が急に大人しくなった。少し寂しくなってメール画面をしばらく見つめていたが30分待っても連絡はなかった。この寂しさは毛じらみを撲滅させたときと似ている。

しかし1時間後、見覚えのあるメールが送られてきた。つい数十分前まで恋焦がれていたこの文面。さっき拒否設定した文字がどこにも含まれていない新しいアドレスではあるが間違いない。
このメールを見た瞬間の僕の表情を言い表すと「10年ぶりに初恋の人に遭遇」などのようなロマンチックなものとは少し違って、どちらかといえば 「キングボンビに遭遇」のほうがしっくりくる。喜でも怒でも哀でも楽でもなく、激怒だ。毛じらみを撲滅させたときの寂しさなどどこにもない。

早速、さきほど猛烈なアタックを受けていたメールアドレスと、今回の新しいメールアドレスを見比べて、共通している文字を探したがどこにもなかった。アップグレード。
一応、アドレスの最後の文字だけは共通していたのだが、ここを拒否設定してしまうと他の友人達からのメールまでシャットアウトさせてしまう恐れがあるのだがほとんど躊躇わずに設定した。
怒っているのだから仕方ない。この瞬間からパタリとメールが止んだが寂しくもなんともない。2時間待っても3時間待っても、誰からも連絡は来なかった。

友達からさえなかったが、そこは今回の拒否設定とはなんの関係もない。それはもっと大きな「僕の生き方」みたいなものを見つめなおす必要がある。


早朝6時。寝ていた僕は見覚えのあるメール4連によって起こされた。
僕は不思議なほど冷静に「携帯電話以外からのメールを全て拒否する」の項目にチェックを入れて寝た。激怒でもなく、無だった。

それから24時間以上経つが、もう連絡はない。

●という経緯なので携帯電話から以外はメール受けれなくなりました~

2012-01-13

年が明けた。熱が出た。

●あけましておめでとうございます。今年は結構頑張ると思いますので、今年もひとつよろしくお願いします。

●新年早々、2日からトラック作り。JOKE MICをプロデュースするという仕事。
「プロデュース」というものは実に幅広くて「ダメだしをする」とか「なんとなく口頭で伝える」というライトなものから、「作詞作曲をする」とか「演奏もやる」とか「さらにジャケデザインも」なんていうヘビーなものまである。どれもプロデュースと呼ぶらしい。
今回の僕はというと「トラック作り~ミキシングまで」で、まあ真ん中くらい。やや重め。

ちなみに、オバ君をプロデュースする仕事は結構軽め。どっちも同じ「プロデュース バイ ブートビート」となる。牛肉にも等級があるようにプロデュースにも「チカラ加減」の等級があってもいいかもしれない。でないと、重い方々に申し訳ない。

●熱が出た。最初は微熱だったがみるみる悪化した。これには原因がある。オヤジだ。
うちのオヤジは精神的にとても弱く、寝不足自慢、体調不良自慢、俺のほうが体が弱い自慢。などなど、病気へのアピールが尋常ではない。風邪など引 こうものなら10分毎に体温を測って微熱アピール。測っても熱が出ていなかった場合は「熱がコモッテイル」と謎の言葉を吐き、体温計では計り知れない体調 不良を訴え続けた。そんなオヤジを見るにつけ「どうせ体調不良なんだったら、何度も測るんじゃねえ!」と僕は何度も怒鳴っていた。

怒鳴っていただけに、一回体温を測ったらもう測れない。微熱だった。「平熱が35度台なので微熱でもそこそこきつい」なんて軟弱な事も言えない。 寒気がすごくて「さっきの測った時よりも確実に悪化している。もう微熱でもなさそうだ」と確信がもてたとしても測れない。頭がくらくらしてもアピールでき ない。とにかく「いや~、なんか今日さみいなあ~」と言いながら我慢した。

この強がりが微熱をみるみる悪化させて数時間後、僕はついに「・・・病院へ行きます」と弱音を吐き、ネットで近所の病院の診察時間を調べてフラフ ラと歩いて向かった。病院へ着くと診療時間が違っていて、まだ開いていなかった。これはツライ。外では待てないし、仕方ないのでフラフラと家に帰ってネッ トで調べなおしたが、僕は間違えておらず病院のホームページのほうが診療時間を間違えていた。
僕はコレにひどく腹を立てて「病人を騙す様な病院にはいかない。もういかない」と弱々しい声で、しかし強い意志を込めてオヤジに言い放った。

コタツに入って1時間ほどすると、僕はなぜか頭がぼうっとして楽しくなってきた。へらへらと笑い始めた。僕は覚えていないのだが、この時点で僕は謎の歌を唄い始め、ヤバイと思ったオヤジは嫌がる僕を車に乗せて病院へ運んだ。

これが良い判断で、病院で熱を測ったら39.8度あった。
点滴、解熱剤、座薬で無事に回復。次の日には元気になった。