2012-02-17

できること、できないこと

●おばあちゃんの息が止まったというので家族全員で病院に行ってきましたが、モノがのどに詰まっただけでした。お見舞い時間15分で終了。せっかくなので犬山城に寄って帰りました。行ったことがなかったので。

城に入る前に「おもがる石」という30センチくらいの石を発見。説明板に「神様に願い事をしながら持ち上げる。軽く上がればその願いは叶う。叶わないときは重く感じる」と書いてあったので僕もやってみた。もちろん軽かった。石がこれの3~4倍くらいのサイズだとしても、顔を真っ赤にして持ち上げたとしても、僕は「軽かった」と言うだろうし、それ以上のサイズだったらやらなかっただけの話だが、とにかく僕の願いは叶うようだ。
こんな観光地で、まだ城も見てない段階で「夢が叶わない」なんていう挫折の不意打ちを食らいたくはない。

テンションがあがったので、いたるところで武藤敬司のポーズで写真を撮ったが、今見ると恥ずかしいのでアップはしません。撮ってくれていた妹はリアルタイムでこの恥ずかしさに気づいていたことになる。しばらくあいつとは会えない。


●作詞をしました。
初めての作詞なのでさっぱり分からず、とりあえずいろんな曲を歌詞に着目しながら聴いてみたのですが、酒をテーマにしようと思ったからといって安直に河島英五ばかりを連続リピートしても酒が進むだけで作詩は進まないことは分かった。
オバ君に作詞のコツを聞いたら「裸になることです」と言われたが、肉体的に全裸になることはあっても、精神的なほうで裸になるのはちょっとキツい。
という感じで、昨年末から「やらなきゃ」とは思っていても全然勇気がわかなくて、一曲目が形になるまでに2ヶ月かかりました。日記のようにはいかなくて苦労しましたが、結果的には僕らしい感じになったので満足しています。

●そして仮歌。
本番ではちゃんとした歌手の方に歌ってもらうのですが、その前にまず誰かが歌わないと、どう歌っていいのかが分からないので仮歌は必須かと思われます。で、これをオバ君に頼んだところ「それはいやです」と即答で蹴られたので自分で歌うことにしました。歌に自信はないけれど、ここは照れている場合ではない。

「作詞が失敗した場合は、無理に続行せずインストとしてリリースしよう」と思っていたので、曲は気に入っていて気持ちよく歌えたのだけど、歌い終わってみて編集するときに自分の歌声の気持ち悪さに凹んだ。これは使えないなと思って、何度も歌い直ししてみたがだんだん悲しくなってきた。このままではどう歌えばよいのかが全く伝わる気がしなかった。それでは仮歌として成立しない。恥ずかしいも悲しいも通り越して、困った。

困ったあげく、このなんともコメントのしようのないデータをオバ君に渡して「どう?なんとか伝わるかなあ?」と聞いたら「やっぱり僕が仮歌やります!」と志願してくれた。



犬山城で「歌手になりたい」と願いながらアノ石を持ち上げていたら骨折していたかもしれないな。と、ふと思った。

2012-02-07

2月 さらにつづき

まだオチャノバ滞在中。僕だけ上着を羽織って。

僕の帰りは「22:40新宿→東岡崎駅(愛知)5:00」という夜行バスだったので、新宿までの電車を調べてくれた。湘南新宿ライナーの最終便がちょうど良いらしくて、乗り換えの必要もなく、バスを待つ時間もほとんどないのでそれで帰ることにした。

それに合わせてオチャノバに滞在。
ここのオーナーのコウヨウさんが変わったヘッドホンを持っているという事で見せてもらった。電話型だった。受話器の部分だけのヘッドホンなら市販されてて見た事あったけど、電話の本体ごと使ったヘッドホンは初めて見た。



しかも、聞くだけじゃなくて、しゃべるほうはマイクになっているし、受話器を置くとラインがオフになるという徹底ぶり。すごい。


時間が来たのでオチャノバを出て、一旦荷物を取りに戻ってから古河駅。
駅に着いても「まだ少し時間ありますので、外は寒いので車で待機してください」とリョウスケ君が気遣ってくれたので5分前まで車で待機して、リョウスケ君たちと解散して、スムーズに電車に乗った。「ああ、栃木楽しかったなあ」と思いながら出発を待っていたのだが、ふと「あれ?そういえばこの電車で大丈夫だっけ?逆方面じゃないだろうか」という不安がよぎった。夜行バスぎりぎりの時間に着く予定なので、逆方面に乗ったら間に合わなくなる。という事で一旦電車を降りる。電光掲示板で確認。この電車で合っている。ドア閉まる。僕は乗っていない。電車出発。電車の最後尾にもしっかりと「湘南新宿ライナー」と書いてあって、だんだん見えなくなっていく。みるみる血の気が引いていく。電車は行った。しばらく何も考えれない。本当に何も。


途方に暮れていると、電光掲示板に次の電車が書かれて、一筋の光が見えた。
調べなおすと、新宿からの夜行バスは10時40分に集合して、出発は11時00分だった。で、この表示されている電車に乗ると10時45分に新宿に着くことができる。駅から改札に出るまでも少し時間がかかるし、駅からも微妙に距離があるのを考慮して、それでも急げば11時ぴったりくらいにはバスに辿り着ける気がしてきた。

という事で、20分後の次の電車に乗って新宿へ向かった。全然落ち着かないのでツイッターでつぶやいたりした。

10時45分。新宿に着いて、走りながら、夜行バスのスタッフの携帯に電話をした。一応連絡さえ入れておけば融通が利くかもしれないし、融通が利くなら走らなくても済むかもしれないからだ。

スタッフの人は「11時には出発しますので、できるだけ急いでください!!!」と僕を励ましてくれた。やんわりとではあるが”少しも待ちませんよ”という強い意志が伝わってきたので僕は走りつづけた。
過剰に頑張って、なんとか3分前にバスに乗れた。頑張った。

そして11時07分、夜行バスは出発した。特に慌てる様子もなく。7分遅れで。
最初から「7分くらいは待ちますよ」と言ってくれていたらコンビニに寄れたのに。ほとんど食べてないのよ、今日。

途中に寄った海老名SAに吉野家があった。休憩時間があと10分長かったら食えたのになあと思いつつ断念。そしてバスは定刻よりも1時間早く東岡崎駅に到着した。




朝4時の東岡崎駅はとても閑散としていた。




リベンジの機会を与えてくれたリョウスケ君、カラージャムの松本さん、DJの方々や遊びに来てくださった方々ありがとうございました。お疲れ様でした。

2月 つづき

●2月5日。昼に目が覚めた。昨日、DJ後に吐いていたらしく、おかげで二日酔いはほとんどない。

だらだらと準備をして、昼過ぎにラーメンを食べに行った。
移動中、ラーメン屋まで意外と距離があったのと、空腹と、若干の二日酔いのせいで車に酔って、僕は会話に参加できず、ひたすら黙って涙を流していた。

ようやくラーメン屋に到着。車から降りたとたんに元気が出た。
前にテレビで”中毒グルメ”として紹介されていた「火山」というお店。
まず具と麺が入っている熱い石鍋が出てきて、目の前でこの中にスープを注いでくれます。火山のごとく沸騰したやつが飛び散るので、それを紙で避けつつ2分待ってから食べます。
僕は昨日の夕食時、ビールに徹してしまったせいでかなりの長時間を酒とお茶で過ごしていて、空腹が尋常ではなかったので、この2分がとても長いものに感じられて、2分経過後に火山のごとくロケットスタートをしたものの、わずか一口で胃がびっくりして、僕の食欲は瞬時に鎮火した。
僕の脳は食べたくて幾度も箸を手に取ってみるのだが、僕の胃はひたすら黙ってそれを拒否し続けた。

このお店の目の前にハードオフがあったので寄った。最近のハードオフは「もはやレコードには力を入れていません」とびしびし伝わってくるお店が多いのだけど、その中でも「もう期待していないので全部100円でいいですよ」というお店と「力を入れていた頃に貼った値札を貼りかえるのも面倒なので、貼ってある盤はその値段でお願いします」というお店がある。前者はありがたいのだが、後者だと「意外と1000円オーバーばっかりじゃねえか」という事が多々ある。ここは後者だったうえにレーザーディスクの混入率もなかなかのものだったのでササっと見終えた。

次にプレミアムアウトレットに移動した。僕はキーホルダーとインテリア小物を物色。
いまごろになって胃も元気になってきたせいで、もうお腹が減りすぎて集中力が散漫だったが楽しかった。とても広かった。

そしてオチャノバというカフェに移動。もう空腹が限界だったのでサンドイッチを頼んだが「今日はもうパン類は終わってしまいました」という事で、トーストも何もかもが終わってしまっていた。
となると、飲み物で満たすしかないので「お腹が減ったらバナナがいい」という勝手なイメージからバナナシェイクを頼んだ。これが大当たりで甘すぎずめちゃくちゃ美味しかった。最高。ただ体が冷えた。この時期にシェイクはいかん。あやうくお腹的にも大当たりするところだった。
注文した時に、すでに店員さんから「すごく冷えますよ。寒くなっちゃいますよ?いいんですか?」と念を押されたにも関わらず「平気です」と言って頼んだので、いまさら「やっぱり寒くなった」とは言い難くて、僕はそっと上着を羽織って静かにしていた。すぐにバレた。

つづく

2月

●1月31日。JOKE MICのプロデュースが順調。トラックは全て提出し終えていて、ラップ待ちの状態。2日前に一曲だけラップのデータが届いて、それのミキシングが本日終了。マスタリングは他の人に依頼するので、僕がやるのはあと11曲のミキシング。ちゃくちゃくと終わりつつある。
夜12時くらいから酒飲んで就寝。

●2月1日。朝7時に目が覚めてトイレに駆けこんで吐く。昨日寝たのは朝5時くらいなのでまだ2時間くらいしか寝ていない。二日酔いにしては早すぎる。

昼12時。まだ吐き続けていて、すでに胃液も出ない状態。ただひたすら「オエエエエエエエ!」と言うだけ。言うだけなのになぜかスッキリする。胃を搾っているようなあの感じが重要なのだろうか。

昼3時。やっと吐き気はおさまった。今度はおなかが痛くなった。

夕方6時。寒気がしてきて、熱を測ったら38度近かったので、ようやく「これは二日酔いではないかもしれない」と思い始めて、病院へ行くことにした。病院は空いていたのですぐに診てもらえて、わずか1分程度で「風邪ですね」と言われた。おかしい、私のような引きこもり状態の人間が風邪をひく理由がない。



納得いかないがとりあえず点滴。今年すでに2回目。

帰宅後、熱も出て本格的に風邪っぽくなってきたので安静にした。


●2月2日。だいぶ回復した。でも明後日は栃木だから念のため安静にした。
JOKE MICからもう一曲ラップのデータが届いていたので、これを布団に入ったまま編集した。あと10曲。さらにオバ君からも音源データが届いていた。こっちはダメ出しする程度。しかもほとんどOK。

夜中になって「さすがにもう大丈夫だろ」と思ったので、布団から出て栃木の準備。
「このへんはこんな感じで」と、ざっくり曲順を決めている場所がいくつかあるのだけど、今日はその一部の具体的な繋ぎ方を決めた。
僕は、ビートの強い曲に関して「まあBPMさえ近ければ、アドリブでもきっちり繋がるだろ」と油断しているところがあって、でも意外と本番でキッチリできていない事が多いよなあとは思っていて、今日やっとそのへんの曲と向かいあった。意外とほとんど組み直しだった。


●2月3日。完全回復。アイホンをいじっていて何気に画像データを見ていて、点滴の写真の一つ前にこんな画像データがあった。



コレを見て、僕はある事を思い出して、ツイッターで自分のツイートを調べた。
これのせいであれば、僕は30日の時点ですでに風邪を引き始めていたが気がつかず、夜中に空腹を紛らわすために酒を飲んで寝て悪化してやっと気がついた。ということになる。

https://twitter.com/#!/BOOTBEAT/status/163673240097665025

頭だけじゃなく、結構いろんなところが冷えたようだ。


●2月4日。栃木のカラージャムというところでDJなので、14時に出発。
新幹線の中で作詞した。初めてのことで全然進まないのだけど、曲の方はほとんど完成しているので、いまさら「やっぱりできませんでした」は言いにくい。だから、こういう時間を使って作詞。
栃木に19時着。すぐにカラージャムでサウンドチェック。19時半には準備が済んで、みんなでご飯。前回、このパーティーでDJした時にテキーラを飲みすぎて、まともにDJできなかったので「今回はDJが始まるまでビールしか飲まない」と宣言してビールしか飲まず。これは良い心がけだと自分でも思うのだが、ご飯も食べずにビールに徹する必要はなかった。無理してでも食べておくべきだった。

21時。パーティーが始まるのでカラージャムに戻った。ビールを何本か飲んだ。徐々に「ビールだったらどれだけ飲んでもOKというわけでもないのかもしれない」と思い始めたし、誰かの誘いで結局DJ前にテキーラも1杯だけ飲んだ。それでもまだ倒れるほどでもないけれど、怖くなったので酒は一旦ストップ。

時間はあっという間に過ぎて24時。僕の出番。大丈夫、意識はある。わりとしっかりしてる。
おかげで開始から30分くらいは無難にDJできたのだけど、それ以降テキーラが次々と届けられて、それでもさらに1時間くらいは頑張ったはずだけど、結局DJ中に意識を失った。

気がつくと、パーティーが終わっていて、車に乗っていた。また意識を失う。

次に気が付いた時はリョウスケ君の家にいて、リョウスケ君の若い頃の写真を見ながら「金髪のガイコツだ」とケタケタ笑っていた。また意識を失う。