2013-12-23

12月

●12月1週目。だったっけな。クボタさんが四日市でDJするので遊びに行こうと思ったけど、その前に昼から軽くスロット。
軽くのつもりがウルトラマンでプレミアチェリーを引いた。65000分の1のやつ。

これを引くと内部的に設定6に切り替わるので結構勝てる。閉店まで打たないともったいない。なんでこのタイミングで出るかな。もう今日は四日市いけないかも。

とはいえ、クボタさんのDJも見たいので10時には切り上げようと思ったら、さとちゃんが迎えに来てくれたので閉店ギリギリまで打てた。おかげで4万負け。なんと負けた。パーティーどころじゃない。

車の中で焼酎を2本飲んでからクラブへ。最近酒に弱くなったのでもう泥酔寸前。

クボタさんは遅めに来たので、そんなに話す時間もなかった。
トイレに行ったとき、隣で用を足していた知らない人に「そこに置いてあるのは酒ですか?水ですか?」と声をかけた。すると焼酎か何かだった。少し貰った。楽しくなったのでその人を引きずりまわして一緒に飲んだ。そして記憶がなくなった。四日市の思い出はあっさりと終わった。


●12月2週目。だったっけな。オルガンバーでDJをした。久々のオルガンバー。めちゃくちゃ怖い。

怖いので、まずこの依頼が来たときに「酒飲みパーティーだったら行かない。失うものが多すぎる」とマロニーに言ったら「DJみんな次の日仕事だし、肝臓悪くしてるのでお酒はほとんど飲みません」と言われたので引き受けた。一安心。

当日。夕方に東京に着いて、まず下北で加藤さんと飲んだ。適当に8時くらいには切り上げてオルガンに行こうと思ってたけど、思いのほか飲んだ。飲みすぎたので事務所で休ませてもらってたら、すぐに下川君から「まだ来ないの?りょうすけ待ってるよ!」と催促の電話がきたので時計を見たらもう10時になってた。なんてこったい。どんだけ飲んだんだ。せっかく酒を飲まないパーティーだと言うのに。

急いで渋谷へ。さらにオルガンバーまで走った。走ったが間に合わず、リョウスケ君はすでに帰っていた。

オルガンに入るとおっちゃんとマロニーがいた「やあやあ、久しぶりだねえ、元気にし・・・ちょっと吐いてくるわ」といって僕はトイレで吐いた。酒もあるが、おもに全力ダッシュのせいだ。この年でダッシュすると飲んでなくても吐く寸前にはなる。飲んでたら確実に吐く。
で、吐き終わってからまたみんなに挨拶しようと思ったけどもう一回吐いた。
みんなの呆れ顔が若干心地よかった。

で、酒飲みパーティーじゃないので安心して水を飲んだ。とにかく水しか飲まなかった。
見知らぬ外人さん4人いたので、そこだけは無理してテキーラで乾杯した。

僕のDJ一回目が終わったくらいだろうか。大仏君が現れた。
「今日は神谷氏が来るって言うからさ~」と言って大仏君が指差す方向をみると、テーブルにロンリコが4本置いてあった。その瞬間、ゴミ捨て場に寝ている私、ズボンずたずたに破れてパンツ丸出しで渋谷を駆け回る私、体中に落書きされる私、道路で寝ていて「死ぬぞ」と知らない人にたたき起こされる私、便器をへし折って抱きかかえて寝ている私。などなど、ここに書けない事も含めていろんな思い出が走馬灯のように駆け巡って、終わったと思った。
ロンリコなんて飲まないよと僕が言ったところで聞いてもらえるわけがない。

ヨネが来てくれたので一緒に飲んだのか飲んでないのか。よく覚えてない。とにかくパーティーらしからぬとても重い話を聞かせてくれた。面白かったが笑えない内容だった。ロンリコ見た瞬間と同じくらい笑えなかった。



もうどれだけ飲んだかももうわからない。何が起こっているのかもよくわからない。
「酒飲みパーティーじゃないんじゃなかったのか」と、マロニーに問い詰めようと思ったら、すでにマロニーは泥酔して泣いて帰ったそうだ。さすがだなと感心すると同時に、詐欺か何かにあったような気分になった。僕もこの時点で泣いて帰りたかったのだが、泣くことはできても帰ることができない。

そんな状態だが僕の出番がもう一回来た。なにを流したのかも覚えていないが、とにかくすぐに代わってほしくてDJを呼んでみたがほとんど誰も来なかったのは覚えている。

DJ後から本格的に記憶がなくなった。もう新幹線にいた。新幹線もほとんど覚えてない。


結局めちゃくちゃいつもどおりの感じだった。


●その2日後。岐阜でパーティーがあったので遊びに行った。四日市のときに僕を運んでくれた子達がDJだったので、それは御礼と謝罪をせねばなるまい。
しかし酒が飲めない。オルガンバーから3日目だというのにダメージが残っている。
と言うことでササっと帰宅。

●12月29日は仙台でDJします。

2013-12-03

どもども

⚫︎最近はゲームとスロットの日々でそれなりに充実しているので、たいして日記に書くような事がありません。

⚫︎酒を常飲するようになって、食後に少し飲んだりしますが、暴飲する事は稀だし、暴飲したとしても自宅でひっそりとやっています。

⚫︎事務所から7インチが届きました。カモナマイハウスとドントミーンアスウィングがメドレーになってるやつ。A面がBetty Angelicaというバンドによるカバー。B面がそれを僕がリミックスしたやつ。ゴールデンウィークあたりに作ったやつなのですっかり忘れてましたが、忘れていたから新鮮な気持ちで聴き直せました。思ってたよりちゃんと作ってたみたいで一安心。欲をいえば、もう少し最近の趣味を取り入れて作りたかったけど、それにはまだ勉強が足りないから仕方ない。

⚫︎12/12に久々のオルガンバーです。クリスマスにも御誘いいただいたのですが、そっちは時間的にしんどかったので、こちらだけにさせてもらいました。
「キャバレーくれたけ」という下川君とかマロニがやってるパーティーです。

⚫︎12/29は仙台でDJします。久々に小西さんに会えるし、「移動は太平洋フェリーだと嬉しいです」と無理を言わせていただいたので、それも楽しみ。

ということでほとんど告知の日記です。

2013-08-21

浜松のあと

●8月10日の浜松の日記は前回のとおり。飲み足りなくて、パーティー後に朝6時まで飲んだ。

●8月11日。朝10時にホテルのチェックアウト。きつい。パーティー後に誰も見てないところで泥酔するなんて情けない。いよいよ「アルコール依存症」という手応えを感じる。血は争えない。

昼にふらふらになりながら帰宅。家では姪っ子たちがはしゃいでいた。僕は「おじちゃんは二日酔いで動けないよう。体がおかしいよう」とわめいてみたが、特に心配する様子もなく、僕に近づくこともなかった。小学生なんだからもうちょっと真に受けて心配してほしいものだ。

●8月12日。姪っ子の強い要望により福井の恐竜博物館へ。昼夜逆転生活の僕は徹夜していくことになった。眠い。ものすごく行きたかった場所にこんな体調で行くことになるとは。

普段「二日酔いで動けない」と言うと全く近づいてこない姪っ子たちが「眠いから勘弁して」という言葉には一切耳を傾けず、移動の車中、僕はすごい虐められた。酒が入ってるかどうかを見極めているのかこのくそがきどもは。それに比べて自分の情けなさたるや。

結局ほとんど寝れずに恐竜博物館。感動も半減。まあ楽しかった。夏休みだからなのか、人が多かった。眠かった。

帰りの車中も容赦なく虐められた。私が買ってあげた恐竜のおもちゃで散々こづかれた。買うんじゃなかった。

●8月13~15日。暇になっても部屋でやることがない。酒と音楽しかない。おかげでターンテーブルに向かうわけだが、幸福感はまるで感じない。これは本格的にアル中になるのではなかろうか。はやく9月になってスロット生活に戻りたい。いや、それもどうかと思うのだが。

夜になってリュウから「明日暇か?」というメールが来た。
リュウは少し前に美容院をオープンさせたのだが、そのオープン前にも散々こき使われた。
それはこちらで
http://boot-beat.blogspot.jp/2011/10/blog-post.html

という事で、すごく嫌な予感がしたので「何をさせる気だ?」と返信したが、それには答えずに、また「明日暇か?」というメールが2個来た。僕はこういうとき諦めがよいので「ジャージでいいのか?」と返信したら「昼過ぎに迎えに行く」とだけ返信が来た。内容が分からないままだが「やっぱりか・・・」と思った。

●8月16日。昼夜逆転生活の僕は朝9時に寝たのだが、昼11時にリュウが目の前にいた。古い付き合いでウチの親とも仲がいいので勝手に家に上がってくるのは良いとして、昼前じゃないか。約束よりも早いじゃないか。眠いじゃないか。
というか、びっくりするじゃないか!
でも、「あと2時間寝させろ」と言ったところで帰る気配もないもないのでサクっと諦めた。諦めたら、軽トラに乗せられて連れて行かれた。

車中も私を寝させまいとして、やたらに話しかけてくる。話しかけてくるだけじゃなく「こんな時間まで寝てやがって」とか「暇なやつはいいよな」などと罵ってくる。
僕の友達の中でも、リュウとワタナベの二人はとても曲者で「自分がバツの悪いときは、逆に上から物を言う」という性質がある。このやり方が有効な相手もいるらしく、逆に「すまん」などと言ってくる場合もあるようで、そうなったらこいつらの勝ちだ。
しかし僕は分かっていたので、リュウは僕を朝から叩き起こして申し訳ないと思っているのだろうと察しはつくのだが、こっちはわずか2時間で叩き起こされて車中で罵られるわけだからさすがに機嫌が悪い。
なので、車中に「お前がバツが悪いのはもう分かってる。いいから謝れ。そして黙れ」と、私はばっさり切って寝た。

しばらくして、農園のようなところで起こされた。「さあ、うちの美容院に似合う植物を買って帰るぞ。お前はそれを運ぶ係だ」と言われてやっと今日の主旨が理解できた。

植物を選んでいる最中、リュウがやたらに「俺は最近植物を勉強しているから詳しい」と得意げに言っていた。勉強したなら今日買う植物も決めておいてほしかった。それも決めていたなら100点だが、ただ調べただけならほぼ0点じゃないか。なんなんだその無駄な知識は。

おかげで興味もないのに植物を見て回るのに1時間付き合わされた。

植物を購入後は美容院に埋めるところまで手伝って帰宅。即就寝。
夕方に起きて、友達と軽めに飲んで、時間ができたので終電で岐阜へ。ヨウヘイ君のパーティー。

このパーティーでひさしぶりに一生懸命ナンパした。女の子に「俺ってすごいんだよ!」というダサいアピールもたくさんしたし、DJ中のMOTIVEに「いまナンパしてる子がゆるい曲が聞きたいっていうんだよう。お願いだよう」と懇願したりもして、我ながら相当かっこ悪い一日だったが、帰る時の晴れやかさったらなかった。
素直に生きるとはなかなか気持ちがよい。

ただ、あとでこの日のことを誰かに突かれると凹むので、一切触れないでいただきたい。

●8月17日。パーティーのあとに電車に乗ったら寝過ごしてしまって家に帰るのが昼過ぎ。というすごくありがちな事は僕でももちろんやる。何回やっても慣れない。体力の消耗が尋常じゃない。

帰って、寝て、夕方に起きて、二日酔いすごくて、一日が終わった。
いつも非生産的な生き方なので、別に二日酔いで一日が終わろうが、元気に一日が終わろうが、たいして変わらない。


早く9月が来ないとアルコール依存症になってしまう。

2013-08-12

浜名湖

土曜日。浜名湖沿いのホテルで毎年開かれているパーティー「カランコロン」がありました。

本来なら開始前のサウンドチェックから参加しているのだけど、今回は出番が遅いし、最近よく酒に飲まれているので、ビビって夕方から会場入りしました。おかげでジャバループのみんなにも会えなかったし、中塚さんにも会えなかった。

18時半。会場の控え室に荷物を置いて、外に出たらヒロちゃんがいて『中塚さんからの伝言です。「ださっ!」だそうです』と言われた。ふむ。気にしない。

その後、ひとりでうろうろ。このパーティーで夕方まで意識があった事が一度もないので、改めて「夕方は涼しくていいなあ。この場所いいなあ」と思った。4回目にして、初めて思った。

19時半。小西さんが会場入りして、少しお話できた。「最近、自主的に酒を飲むようになりました。依存症ではないと思いますが」と言ったら「依存症の人って、自分は依存していないって思いたがるらしいよ。でもまあ飲めるうちにたくさん飲んでおいたほうがいいよ」と言われたので安心と心配が同時にきた。小西さんが言うと深みがある。あんな言葉がさらっと言える大人になりたい。
音楽のことでもお話したかったけど、なんか緊張するのでそういうのは出来なかった。

20時。もうすぐ出番。完全にシラフだと、それはそれでつまらないミスをしたりするのでハイボール5杯くらい飲んで、20時20分にDJ開始。
ここ数年の僕は「ほとんどアドリブだから」とか「制作のほうに力入れてるから」とか「飲みすぎた」とか言い訳することが多くて、そんな自分にうんざりで、このまま言い訳し続けるならDJやめようかと思っているので、前もって「今回は練習した」と公言してハードルをあげておいた。おかげですごく緊張して手が震えそうになった。この緊張感は悪くない。

で、まあ結果としては可もなく不可もなく、ほとんど予定通りにDJできた。不安なところはちゃんとミスったので、可もなくだが「久しぶりに練習したわりにこれくらいだったらOKかな」と自分で思えたから良い。
「こんな程度のDJしかできないんだったら辞めてもいいかな」という気持ちが消えるほどの結果でもなかったが。

で、DJ終わった後は一気に酔いが回った。DJ中にも飲んでいたし、安心したから気が緩んだ。

パーティー後、みんなで「さわやか」に行ってハンバーグ食べて、ホテルに送ってもらって解散したのだけど、あまりにも早くパーティーが終わってしまったので飲み足りなく感じて、その後コンビニで酒を買って朝6時まで飲んだせいで次の日のチェックアウトが朝10時だったので猛暑と二日酔いで家まで帰るのが本当に辛かった。


これからしばらくは部屋の配置をそのままにして、DJの予定があってもなくてもターンテーブルを触ろうと思います。8月ヒマだし。


スタッフの皆さんお疲れ様でした。
今回は僕はあまり面白くない感じだったと思います。ごめんなさい。でも僕自身は満足しています。

2013-08-06

模様替え

●先週の木曜日。DJの練習がてらUSTでもやってみるかと思い立つ。
音楽ソフトで大体の曲順は決まりつつあったけど、誰も見てないところで通しでやってみるのは気が乗らなかったので。

ということで、そこそこ気合入れてUSTでがっちりやってみようかと思ったら、がっちりどころか全然予定通りにできなかった。最近スロットばかりだったし、レコード触らずに曲順も決めていたので、そんなに自分に期待もしてなかったけどこれはひどい。それくらいは余裕だろという所もがたがたで驚いた。驚いたので泡盛がすすんだ。結構ぐいぐいいった。でも泡盛は苦手だしウイスキーよりも度数が低いので、なんかちょうど良い酔い方で止まった。おお!これは楽しく酔え・・・・ない!

DJをもうちょっとどうにかせねば。

●先週の金曜日。DJの練習しようかと思ったけど、あの狭いところにあんまり入りたくなーい。とベッドでごろんごろんしながら何かを考える。考えるふりをしながらテレビとか見る。

ふと。若い頃に頻繁にレコードを触っていたのはそういう部屋の配置だったからだ。こっち(ベッド側)が快適すぎるからこうなるわけだ。そうだ模様替えをしよう。と思い立つ。




これから




こう。

少しテレビを大きめに書いたのは見栄なのだけど、実際ベッドの真横なので見にくい。

この模様替え中に浜松のシンヤくんから「来週のパーティーよろしくお願いします」と電話があった。いつもならパーティー開始前のサウンドチェックから来てくださいと言われるのだが、今回は「サウンドチェックから来られると神谷さんDJできなくなると思うので、今回は遅めに来てください」と言われた。「いや、泡盛だったらいけるかも!いや、やめておこう!」と一瞬だけ悩んでお言葉に甘えることにした。

さて、模様替えが終了。僕ははたしてどちらに行くのだろう。無理してターンテーブルに向かっても意味がないのでしばらく自由に動いてみた。これで狭いベッドのほうに行くようなら僕は結構ダメなやつだなと思ったが、ちゃんと僕はテーブルでくつろぎ始めた。模様替えは成功だったようだ。
でも心配なので、これでもまたベッドに転がり始めた場合のさらなる模様替えも考案しておいたが、快適とは程遠いものになりそうなのでこの配置が最終となってほしい。

夜にUSTやったら昨日よりはマシだった。泡盛飲んだらちょうどいいところで止まった。ふむ楽しい。

●先週土曜日。やはり僕はベッドのほうに行かない。レコードも触り始めている。テレビも見なくなった。ふむ。

●先週日曜日。ストレスを感じ始めた。狭いからベッドのほう行きたくない。でも、テーブル側はレコードを聞くか酒を飲む以外やることがない。
暇だ暇だと言いながら酒飲んで、音楽聴いて、じゃあUSTでもやるかと思い立って、UST始める頃には飲み疲れていて、やるんじゃなかったと後悔して、でも泡盛飲んだらちょうど良い酔い方で止まるから、それなりに楽しくなる。で、UST終わってから暗い曲を聴いてしんみりしながら寝る。
そういえば最近になって、やたら「I'm still wating」ばかり聞いている。北海道にいた頃に戻りたいとでも思っているのか僕は。今もほとんど変わらない生活だというのに。

●月曜日。泡盛なくなったので酒買いにいったけど、やっぱり泡盛の味は嫌いなのでウイスキー買った。

今日も今日とて暇なので、夜はUSTやった。ウイスキーのせいなのか、あっさりと酔いすぎた。

●火曜日(今日)。身体がだるい。連日酒を飲みすぎ。
この模様替えはこのままで大丈夫なのだろうかと心配になってきた。

●今週土曜日は浜松でDJします。正確には浜松じゃなくて、鷲津と言う駅が最寄り駅で、そこから徒歩数時間のところにある浜名湖ぞいの大きなホテルで、毎年出演させてもらっている「カランコロンサマーフェス」です。よろしくお願いします。

2013-07-28

夏休みはないほうがいいかもしれない

●水曜日。夏休みだと決めて二日目。夕方5時から友達と飲んで5軒ハシゴして深夜3時に解散。
ハンパな時間に解散になってしまったが、ビールばかり飲んでてもうお腹がパンパンすぎて水さえも飲めなくなったので仕方ない。動けない。帰れない。
ウイスキーを避けてみたがそれはそれでこうなるわけか。

●木曜日。動けない。身体中が痛い。体調が悪い。二日酔いが長い。
キャッシュカードを再発行中なので現金が頼りだというのに無計画にもうだいぶ使ってしまった。

夜はミックスCD作り。最近買った曲が把握できていないので、使いたい曲を全部PCに取り込んで音楽ソフトで聴きながら曲順を考えているのだけど、これの効率の良さに感動した。無理な繋ぎはあっさりと諦めれるし、意外な組み合わせも見つけやすい。曲を繋ぐ順番やタイミングなどの試行回数が飛躍的にUPするので、今後はこうやって考えるのもいいかもしれない。が、このデジタル感は少し情けなく感じる。効率は悪くてもターンテーブルに黙々と向かっているほうが男としてかっこいい。最終的に30分くらい決まったところで「さてパーティーのお客さんの気分で聴き直してみるか」と夜中にまた一人で飲み始めて、選曲のチェックもせずにテレビ見始めて、悲しい曲を聴き始めて、泣き寝入り。

●金曜日。友達と夕方から飲んで、夜10時くらいの2軒目で意識がなくなった。

●土曜日。起きると別の友達の家にいて、携帯をみるといろんなところに電話した形跡があって、この家に来たのは深夜2時だというので、空白の時間が4時間もあった。財布は空だし、スニーカーがぼろぼろだった。

しかし、その4時間の間に何があったのか記憶を辿ることはしない。一緒に飲んでた友達に確認もしない。電話した友達に「僕が何を言っていたのか」を聞きもしない。

迷惑をかけた方々には申し訳ないが、現実を直視したらハートがこなごなになってしまいそうなのでシャットアウトさせてもらう。しかしシャットアウトしたものの遊民から「昨日はすみませんでした」とメールがきたので、ついつい「なにが?」と返信してしまった。このメールは無視しなければいけなかった。『昨日の夜に「いまナンパしてるんだけど、なんて声かけていいかわからないよう」と電話がきまして、僕はお役に立てなくて』と返信がきて絶句した。砕けた。

昨日の僕に言いたいことは山ほどあるのだけど、もう考えるのをやめた。


夜になって、ふと「・・・酒のせいだ。こんなに恥ずかしい人生になっているのは絶対酒のせいだ」と思った。過去に100万回くらい思った事だけど、今日も思ったので

最近の酒癖が悪すぎて自分で引くからもうしばらく酒は控えます。と10年くらい言ってるのだけど、一応今日も言う。

とフェイスブックに宣言したら、戸谷さんから「俺は20年近くなりますw」と返信がきた。
「僕よりも上がいる」という事の安心感。と同時に「これやっぱり一生治らないんだ・・・」という絶望感。

2013-07-22

夏休み

●7月17日(水曜)。前回の日記に書いたとおり、連休で使った金を全部スロットで取り戻した。

新しいパソコンが家に届いていたので、帰宅後は新しいパソコンを前のパソコンと同じ環境に戻すべく奮闘した。音楽ソフト入れて、アンロックの申請したり、オーディオインターフェイスをつけたり、過去のサンプリング素材を取り込んだり、その他いろんなソフトを入れたり。
ほとんど全部終わったけど、普通にメールの設定が一番時間がかかって、しかもそれだけがうまくいかなくて諦めた。

●18日(木曜)。昨日の取り戻した金よりもさらに大きな額を持っていかれた。今年の「一日の負け額」でTOP5に入るほどの負け。
最近のスロットは荒い気がする。毎日5万くらいは当たり前に使うので、負けるときの額が結構なことになる。平日5日間のうち、4日間こつこつ1~2万円の勝ちを積み重ねて、残り1日の負けでごっそり持っていかれるパターンが多発で、そのたびに「賽の河原」という地獄を思い浮かべる。

期待値で、ある程度のプラスが見込めるなら嫌いな台でも打つし、そこそこ勝ってて「今日はもう十分だろ」と思っていても、見つけたら打つ。大負けして「ううう、この先どうしよう」と思っても、そういう台が見つかってしまったら打つ。
この立ち回りがこの荒波を作っているんだろうとは思うが、このご時勢、このやり方で勝っていけないようならスロットはすぐにでも辞めようと覚悟して打つことにしている。まじめに書いているけど、結局のところ総合的には僕は楽しんでいる。めちゃくちゃ楽しんでいる。

とはいえ、今日の負けは痛い。もうすぐ学生の夏休みが始まる。夏休みが始まると競争率が高くなるので、僕の勝率が下がる。と言うことで「学生の夏休み=僕も夏休み(スロット打たないだけ)」と決めていて、おそらく明日が休み前の最後の日で、その前日にこの負けはヤバイ。
昨日、調子に乗ってレコード通販をいつもより奮発してしまったというのに。

明日の負け額によっては小学生並みの小遣いで夏を過ごすことになるかもしれない。タモ買ってセミを追いかける日々がすぐそこまで迫っている。

●19日(金曜)。鬼武者で覚醒を引いたおかげで、昨日の負けよりもさらに大きく勝った。6月と7月は豪腕だった。
夕方に「よし、夏休みだ。かえろかえろ」と笑顔で帰宅。レコードが届いていたけど、今日は聴かずにすぐに友達と飲みに行った。

●20日(土曜)。夏休み一日目。もうすでにやる事ないからパチンコ屋に行こうかと思った。
深夜に両親を連れて乗鞍岳へ向かった。おやじが山登りに夢中なのは勝手だが、僕がついていかないと運転交代できなくなるので、結局僕も連れ出される事になる。
散々親には迷惑かけてきたし、いまでも迷惑かけているので恩返しということで諦める。ああ眠い。

●21日(日曜)。早朝に乗鞍岳に着いて、登って、昼には乗鞍をあとにした。鍾乳洞に寄って夕方帰宅。ぐったり。

夜中に目が覚めて暇だったので酒を飲んだ。飲んだら「そうだミックスCDを作ろう。夏休み暇だし」と思い立ってテンションがあがった。

●22日(月曜)。起きたらほとんど無意識にパチンコ屋へ向かっていた。習慣とは恐ろしい。
店に入ると夏休みで暇をもてあました学生達が・・・いなーい。僕の夏休みはもう少し後からにする。4時間後、そこそこ負けたのでやっぱり今日から夏休み。タモ買いに行かなきゃ。セミだ、セミだあい。

帰宅後、銀行のカードを紛失したので再発行しに行った。そのあとバイクの自賠責が切れそうだったので郵便局に行って、誰も待ってる人がいなかったので直接局員さんに話しかけたら「整理券をとってください」と言われて、整理券とったらそのままその番号呼ばれて、いま「整理券とってください」と言った人が「はい、なんでしょう」と対応してくれた。
その後、とある申請のために市役所に行って混んでて30分待って僕の順番が来て「その申請は済んでます」と言われて1分で終了して帰宅。着替えてるときに、あんなに探した銀行のカードがポケットから出てきた。再発行してまったじゃないか。

しばらくは家でおとなしくミックスCD作ります。あ、来月は浜松でDJします。8月10日です。



僕の出番は珍しく遅めで、小西さんの前に1時間のようです。
詳細は近くなったら書きます。

2013-07-17

俺とキャッツのウイスキー

7月13日。明日のムラナオのパーティーで配るカレー作り。目標100人分。
このパーティーでDJしたこともないし「カレーでおなじみの!」というキャラでもないのに、なぜ関わることになったのか自分でもよくわからない。が、まあみんなが喜んでくれたらそれでいい。しかし多い。7時間かかった。
これだけ張り切って作っておいて、当日すごい残ったらどうしようという不安がよぎった。スタッフが無理して食べきってる姿も想像できた。あ、なんか悲しい。考えちゃだめだ。

7月14日。クボタさんや高橋さんが村国座でDJするというのに顔を出す時間が全くない。逆算すると、村国座に行ったとしても昼2時半には切り上げないといけないので断念。

夕方にムラナオにカレーを渡して、5時半に友達の結婚式の二次会。
会場についてしばらくすると、突然「乾杯の音頭をお願いしたいのですがよろしいですか?」と言われた「聞くということは、断ってもいいですか?」と聞くと、それは断固として受け入れてもらえなかった。前もって連絡くれてたら遅刻して言ったのにちくしょう。なんで私がこんな目に。

そしてすぐに乾杯のときが来た。乾杯の挨拶だというのにプレッシャーに耐えれなくて僕はすでに飲んでいた。で「この中で一番不向きな僕に乾杯の挨拶をさせる意味がわかりませんが、とりあえずOO君、OOさんご結婚おめでとうございます乾杯!」と言った。ら、いろんな所から「えーーーー」とか「聞こえなーい」とか聞こえてきた。マイク持ってない向こうの声はばっちり聞こえてるのに、こっちはマイク使ってんだぞ聞こえないわけないだろ。ちくしょう。
そして「はい、やりなおしー」と言われた。ううう。

もう何も話すことも浮かばなくてアワアワしてたら「もうゆるしてあげよう」と新郎が言ってくれたので「じゃ、かんぱーい」と言ってすぐに逃げた。この一件が今日の僕の命運を決めた。

乾杯後、恥ずかしさから逃げるために僕はものすごい勢いで酒を飲んだ。
友達を捕まえては「キャッツ~。一緒に飲もうぜ~。俺とキャッツのウイスキー」とか「田中もウイスキー飲めるのか!俺と田中のウイスキーだな」「俺と俵のウイスキー」みたいな感じで、あまり意味がわからない事を連呼しながら強制的に片っ端からウイスキーで乾杯した。


二次会が終わる前にもう意識はなくなっていて、気がついたらみんなで道路を歩いていた。
この後、行くところがないならクラブに行こう。私の作ったカレーがあるから。と言って5人ほど連れてJB'Sへ移動した。


で、JB'Sでタワシちゃんと乾杯したところまでしか覚えてない。カレーがどうなったのかもわからない。


7月15日。目が覚めるとすでに昼で、ムラナオの家にいた。二日酔いすごい。
今日は昼過ぎから京都に行かなければならない。祇園祭があるからと向こうの友達に誘われていて、チケットもすでに買ってしまっていた。終電くらいのチケットにしとけばよかった。
そんなことより身体中が痛い。ヒジが変な色してる、腿もめちゃくちゃ腫れてる。お尻も痛い。めーちゃくちゃ痛い。
ミズカちゃんに「ヒジ痛いよう。お尻痛いよう。これ絶対折れてるよう。こなごなだあ」とわめいてみたが完全無視された。ムラナオは「えーーー!神谷さん大丈夫ですか!!!」って心配してくれたので「ココとココが折れたっぽいよう」と言っていたら、横からミズカちゃんが「ムラナオよくまともに相手するね。絶対折れてないからほっとけばいいって」と言うのでムラナオも心配してくれなくなった。

しばらく一人でアピールした後、時間がない事を思い出して帰ることにした。
そういえばムラナオのところにいたエリーちゃんという子かわいかったなあ。電話番号聞けばよかったなあと思いながら帰宅。
姪っ子たちが近寄ってきたが「おじちゃん二日酔いで辛いから相手できないよう。身体中の骨も折れてるし」と言ったら、それ以降は僕に近づいてこなかったし「骨は大丈夫?」の一言すらなかった。

風呂に入って、着替えて出発。親から「あんたそれ祭りどころじゃないでしょ」と言われたが、そこは無理して「まつりだ、まつりだーい」と言ってふらふらと駅に向かった。

ぐったりしながら京都着。友達とはまだ合流できそうもなかったので一人でホテルでぐったり。
キャッツが心配してくれて電話があった。「俺とキャッツのウイスキーって言って、俺までめちゃくちゃ飲まされたぞ」と言われた。お尻が痛いのはベンチに座ろうとして思い切りコケて、のた打ち回ってたからそれだ。他の怪我はわからない。3次会もあったんだぞ、お前丸ごと寝てたけど。飲み方が破壊的。などなど、いろいろ教えてもらった。

電話を切って、しばらく落ち込んだ。

夜10時くらいになってやっと回復してきたので外に出た。カアリイも京都にいるみたいなのでちらっと合流できるかと思ったけど、お世話になった呉服屋さんの方たちと飲んでいると言われて諦めた。

一人で居酒屋とか行った事ないな、行ってみるか。と思い立って、携帯で調べて厳選しまくって「ここだ!」と決めた店に行ってみたら潰れていた。次の候補の店に行こうと思ったら、祭りのせいで歩行者にも一方通行の道があって、通らせてもらえなくて怒られて諦めた。じゃあさっき通ったところに焼き鳥屋があったなと思って、そこに戻ったら看板に「横浜 天下鳥」と書いてあって、京都に来て横浜かあ。。。と思って、ファミマでチキン買って食った。
しばらくしたら友達と合流して、結局「横浜 天下鳥」に行った。普通に当たりだったが。


7月16日。居酒屋で飲むときはそんなに破壊的でもなくご飯食べながら飲むので、二日酔いもほとんどなく快適に起きた。そういえばキャッツに「そんな飲み方して楽しいか?」と聞かれたが、楽しいかどうかなんて考えたこともなかったな。昨日みたいな飲み方が楽しいというやつだろうな。

昼過ぎから壱銭洋食とか、祇園祭とかそれなりに楽しんで、夕方から大阪に移動。
深夜番組で酔っ払いがたくさんいると言っていた「十三」というところに友達と行った。
まずネギ焼き食べた。おいしかったが、こういうさわやかな所が十三の目的ではない。
ネギ焼きの後は、細い路地の雰囲気ある店に行って飲んだ。安いし、おいしいし、テレビで野球やってたし、サラリーマンばかりでテンションあがった。友達は酒を全く飲めなかったけど、僕は気にせずに飲んだ。これは楽しかった。

本当は大阪も泊まっていこうと思っていたのだけど、名古屋の時の疲れが異常だったし、たぶん骨がぼきぼきになってるし、足の裏がクツズレして心が折れたので新幹線の終電で帰宅した。

十三は僕がテレビでイメージしてたとおりの良い街だった。定期的に行きたいなと思った。


7月17日。結婚式の二次会の金も、パーティーで飲んだ金も、カレー代も、旅行の金も、全部まとめてスロットで取り戻した。


またどっか行けるな。

2013-07-10

7月前半

●6月末から7月頭にかけてスロットで9連敗した。結構な額が飛んだ。

●7月3日。そろそろその辺の野草でも食べて暮らそうかと思ったが、負けた総額を一日で全部取り戻した。あれだけ負けていたのにミリオンゴッドを打った自分の勇敢さに惚れ惚れしたが、次それやったら身ぐるみ全部剥がされる気がするので、この勇気はこの日だけにしておきたい。アメージンググレイスが3回流れたし、GOD揃いが2回、赤7も2回揃った。盆と正月と国民の祝日と日曜日が全部やってきたような運の良さだった。突き指するんじゃないかという勢いでブン回した。

●7月4日。昨日のあれは偶然だから調子に乗ってはいけないと思っていたが、今日もなかなか大勝した。

●7月6日。親に「台所の蛇口を新しいのに換えてくれ」と頼まれたのでやったら壊れた。家じゅうの水が使えなくなったのですぐに水道業者を呼んで修理を頼んだが数時間かかった。

僕がやったのだけど、しれっと「おいおい、風呂も入れねえじゃん」と言ってみたら無言ですごいこっち見てきたので部屋に逃げた。

●7月7日。ウイスキーを買って帰ったら姪っ子がじろじろ見てきて「それお酒?」と聞いてきた。「そうだよ」と答えたら「また倒れるよ」と言われた。小学一年生でもうそんな事を知ってるのかと感動した。さらに妹の夫婦は酒を飲んでる最中であっても言われた事がないらしい。ちゃんと相手を選んで言っている。たいしたやつだ。と同時に自分の情けなさたるや。

●7月9日。スロットでめちゃくちゃ負けた。僕は「大負けした時に着ていた服は次からパチンコ屋に着ていかない」という願掛けらしきことをしていて、この前の9連敗と今回でそろそろ着ていく服がなくなってきた。全裸という選択肢がうっすらと見えてきた。

とりあえず酒飲んで寝た。

●7月10日。昨日自分が思ってたよりも長時間飲んでたみたいで、量も相当飲んでたみたいで、朝起きたら二日酔いどころかまだ酔っていた。酔っていたがパチンコ屋にはもちろん行く。そして酔っているときの僕は引きが強い。昔、ジャグラーで7000枚出したこともある。もちろん今日も引きが強かった。

午後になると酔いが醒めて二日酔いが始まった。目押ししてると気持ち悪さが倍増した。何回か吐いた。連荘も止まった。酔っ払ってスロット打つのって人間的にダメ過ぎるだろと反省し始める。二日酔いの自己嫌悪も加わってさらに反省する。スロットどころじゃない。辛過ぎる。精神的に耐えられなくなって夕方には帰宅した。

●7月14日はJB’sでムラナオのパーティーがあって、僕はそこでカレーを配ります。でもパーティーのスタッフというわけじゃないし、DJやるわけでもないので「是非遊びに来てください」と僕が告知するのはなんかしゃしゃり出てる感じがして気が引けます。なんと書けばよいのやら。まあとにかくよろしくお願いします。

2013-07-03

6月まとめて


6月頭。酒を飲んでて家の階段から落ちた。
おやじは「おい、だいじょ・・・うわ、こいつ酒くせえ」と言い、かあちゃんは「何段落ちた?全部?」と言った。
どちらも優しくない。酒飲んでたから落ちたわけだし、何段か数えながら落ちる人なんていない。とにかく左ヒジが激痛。


6月半ば。思ったよりもヒジが痛い。腫れてるし変な色してる。折れたっぽいけどスロットを優先してしまって病院に行く時間が無い。早めに切り上げて帰れるときに病院に行こうと思いながらも、そんな日は一日たりともない。

ある時、椅子の肘掛で軽くぶつけただけで痛すぎて涙が出たので、その日は酒を飲んで痛みをごまかした。
やはり折れているかもしれない。


6月後半。パソコンが壊れた。データ吹っ飛んだ。ヒジも痛いがこっちのほうが痛い。と思いきや、負けじとヒジも痛い。


6月終盤。ヒジが触れるようになってきた。骨の形に違和感を感じる。明らかに変だ。まあ痛くなければそれでいい。
骨の形が少々変わっても人生に何の影響も無い。

ヒジも治って来たことだしと思って、レコードを触った。6月29日のパーティーの準備。
今回のテーマはモッズとの事。過去にモッズを通ってないうえに、フェイク物ばかり集めている僕には難しいテーマ。というかそもそも正確にモッズというものを分かってない。イージーリスニングや古いロックを集めている過程でいくらかは持っているはずだけど。
で、心配になったので事務所の加藤さんに電話をして、電話口で大量にレコードを流して「これはモッズですか?それともモッズっぽいですか?それともモッズじゃないですか?モッズじゃないけど受け入れられる感じですか?」くらいの感じでいろいろ線引きをしてもらった。加藤さんはもともと卸の会社でモッズの担当をしていたので頼もしい。

いろいろ聞いてもらった結果「あんまりモッズじゃない感じ」にまとまった。同じ結果になるにしても「あんまりモッズになってない」と自覚してプレイするのと「これはモッズなのかな」と不安なままでプレイするのでは気分が違う。というか、いままで僕のDJ聞いててモッズというお題は厳しすぎではなかろうか。数年前のポールダンサーがいた四つ打ちパーティーの時のような不安を感じる。


そして当日。居酒屋で飲んでからクラブへ。来てくれた友達にお酒を振舞おうとテキーラのボトルを買った。
そのあと全員にも配ろうと思ってもう一本買った。ちゃんとみんなに配れたし、DJもちゃんと出来た。あれくらいなら悪くない。
その後はみんなと乾杯しまくってすぐに記憶がなくなった。



起きると部屋のベッドにいた。まだ酒が抜けていなかったからか、家にいることに何の違和感も感じなかったが、そもそも帰ってきた時の記憶がない。電車に乗ったような覚えもうっすらとさえない。完全にない。

まあそんな事がまったく気にならないほどに強烈な二日酔いで、吐く事はなかったけどずっとベッドでごろんごろんしていた。落ち込みながら。

昨日はみんなに酒も配ったし、DJもちゃんとやれたし、その後は派手に飲んで倒れたので、これは悪くないはずだと自分を慰めてみても、自己嫌悪は止まらない。この沈んだ気分がとても嫌いでどうにかならないものかと模索しつつ、しっかり一日中落ち込んでいた。


たかふぇくんが送ってくれたみたいでとても助かりました。家を調べてくれたまにゃちゃん、はらみちゃんもありがとう。
遊びに来てくれたお客さんもありがとうございました。

2013-06-03

5月のまとめ

●昼夜逆転の生活を元に戻そうと思って、早い時間から酒を飲んでみたり、徹夜してスロットに行ってみたりいろいろ悪あがきしてました。5月後半になってやっと戻りました。

●急にアイホンの連絡先のデータが飛んだので、昔使ってた携帯を見ながら登録し直して、一応パソコンにバックアップしておこうと同期させたら、飛ぶ前のデータが返ってきて、連絡先が2個ずつになって、それを消して、元通りにしたら一日終わりました。

●平岩さんのパーティーにケイジョウ君がDJしにきてたので遊びに行きました。泥酔せず。

●テレビで吉野家のCMが流れるたびに「牛丼の勝ちパターン」って何だろうと考えてしまいます。

●4月まではモンスターハンター2ndGをやっていたのですが、今月に入ってやっと3rdを買いましたが、さっきテレビで4のCMがやってました。人生がダメになるので僕はもう3rdで終わります。もうすでにダメな人生ですが。

●6月末に名古屋でDJをします。
 


このフライヤー見たら分かると思いますがモッズがメインのパーティーだそうで、そのようにお願いしますと連絡が来たのでとりあえず家にある1軍のレコードからモッズらしきものを全部ピックアップしてみました。さて、どうしたものか。

●穏やかな生活してると書く事ないですね。

2013-05-12

日記。オレンジ。

●酒を飲みながら深夜番組を見てたら「字が上手い王決定戦」みたいなのがやってた。「結構なお手前でございます」という字を筆ペンで書いてたので僕も真似して書き始めた。

気が付いたら朝だった。ひとりで深酒するのはもうやめようと思っていたのに。
 
 そしてテーブルを見ると頑張って習字した形跡があった。途中で飽きたっぽい形跡もあって自分できゅんとなった。





さらにブログが更新してあった。そういえば習字に飽きて音楽聴こうと思ったら一枚割れてるのがあって、その割れてたレコードの思い出に浸り始めて、しんみりしちゃって、さっき習字書いてたせいで文章が書きたくなっちゃって、それで日記を書いた気がする。

なので、内容はもちろん割れてたレコードの思い出に関してなのだが、ざっくり言うとすごく前に女遊びしてた事をかなり美化して書いた日記で、当事者でない人から見れば「良い話だ」と思ってくれる場合もあるのだけど、当時付き合ってた子からしたら「おまえ浮気してたのか、おい」となってしまうし、もっと他にも怒られそうなところがあって、いまさらではあるけれど、僕はあの当時の彼女や他の女の子達ともいまだに友達だったりするので絶対にブログに書いてはいけない内容。

当事者でない人からは「甘酸っぱかった」とか「最高でした」とか、ありがたいコメントをいくつか貰えたのだけど、僕自身は読んで青ざめて速攻で消した。


消した後で、当時の彼女の今の旦那さんからも「いい日記だと思ったのに。」とコメントがあったので手遅れの予感がする。夫婦で読んだよな絶対。ばれたよな絶対。


●昨日は岐阜の「オレンジ」というパーティーに遊びに行きました。
今回が10周年でもあり最終回でもあり、ゲストDJはクボタタケシさん。

クラブに入って早速「日記見たよ」と怒られた。やっぱりか。

なので「僕は悪くない!自発的には浮気らしきことはしていない!だけど何飲む酒おごるよごめんなさい」と、開き直ったような誤魔化したような謝ったようなぼんやりした感じで乾杯して逃げた。

最近の僕はどうも酒を飲むと財布にあるお金を全部使い切る癖があるみたいで結構勘弁してほしいなと思っていたので「今日だけは絶対お金を残そう」と心に決めていたのに、もうだいぶ嫌な予感のするスタートを切った。

で、その子から日記の話題が出るたびに僕は逃げるように酒を飲んだ。
そして2時間もしないうちに泥酔してフロアの一番前で踊って「くぼたーーー!」って叫んでた。

しばらくして佐藤君にDJの事で叱咤激励された。叱咤がだいぶ強めだった気がするが愛情のこもったやつ。ありがたや。しかし叱咤がだいぶ強めだった気がする。うん。

昔、このパーティーで出会った元カノも来ていて「やあやあ久しぶり」と挨拶をした。
帰りに途中まで送って行ったのだけど、思い出話なんかしながら歩いたのだけど、彼女との思い出は腹が立つ事が多かったので、甘酸っぱい感じではなくて僕がぶーぶー文句言いながら歩いてただけだった気がする。ごめんなさい。もうほとんど会う機会もないというのに。

最後にコンビニで何か食べてから帰るというので「じゃあおごるよ」って財布みたら1千円しかなかったのですぐに「ごめんなさい。帰る金しかありませんでした」と謝った。今日は結構持ってたはずなのになあ。はあ。

僕は東京生まれでもないし、東京育ちでもないし、東京在住ですらないのに何で江戸っ子みたいな金の使い方してるのだろう。こういう自分が本当に嫌いだ。


で、公園でカップラーメン食べるのを見届けて解散。帰宅。就寝。起床。二日酔い。自己嫌悪。

2013-04-30

松本市二日目

●4月29日。月曜日。松本市二日目。
ガルさん達に同行させてもらった。蕎麦屋にて「さて、どこに行きますか」と話す。カアリイが神社仏閣にしか関心を示さず「松本城は別に」という感じだったので松本城はすぐに却下された。この時点で僕の一番の楽しみは消えたわけだが、神社仏閣も好きなので気にしない。
で、穂高神社という所に行く事になりました。「金運アップ」だそうです。金だ金だあ。


30分くらいで穂高神社着。車2台で行って、ガルさん達が遅かったので合流する前におまいりとかおみくじとか全部済ませた。あっちの車はまだ来ない。女の子がガルさんに「まだですか?」と電話したら「後ろを見てごらん」と言われたので振り返ったがガルさんはいなかった。おお、その嫌がらせは絶妙だなあと感心したが、よく見たらガルさんいたからちょっと残念だった。

合流したら「スプーンカフェでもチラっと見ますか?」という話になって、地元ではないカアリイや僕にはさっぱり意味が分からなかったけど行く事になった。

で、スプーンカフェ。これが文章では説明しにくい。とりあえず店の外にはクオリティ高めのスプーンで作られた人間大くらいのスケールのエイリアン1体と、プラスチック製かなんかの市販品らしきエヴァンゲリオン(これも人間くらいのサイズ)2体が無造作に置かれていた。あと「スプーンは幸せをすくう」という意味がわかるような分からないような字が書かれた旗が立っていた。入り口のドアにはFACEBOOKの「いいね!」のマークを手書きしたやつが貼られていて、これも意味が分からなかった。書けばキリがないほど細かい物がいろいろと無造作に無意味に置かれていた。
店の中はもっとたくさんの無意味なものが無造作に置かれていた。多すぎて、ほとんど全部忘れた。
店内の何箇所かにメニューが存在したが「牛ロース 200万」みたいなのしかなかった。
お店の人がクス玉を持ってきて、これをパカンと開いたら本物のメニューが出てきたが、この本物のメニューにも一部偽物が混じっていてもうよくわからなかった。
後ろの席にいたカップルから「なにこれー」と聞こえてきたので振り返って見てみると男の人が傘をさしていて、その内側にメニューが書かれていた。くす玉のほうが見やすい。
僕はりんごジュースにした。これはまあ普通だったのだけど、コーラの人はでかいバケツに入って出てきたし、コーヒーの人は醤油の小瓶にコーヒーが入っていて、ガムシロップはオリーヴオイルの小瓶に入っていた。また後ろの席から「私、これやだー」と聞こえてきたので振り返ってみると、黄色い炭酸ジュースがシビンに入っていた。

席に置いてあった落書き帳をパラパラと読んでいたら「ランチの値段に惹かれたので入ってみましたが、まさかこんなお店だとはびっくりです」みたいに書かれていたのがあったが、あんな分かりやすく違和感だらけの外見をマルっと無視してランチの値段に飛びついた事のほうが驚く。そんな人もいるんだなあ。
あとはとにかく「トイレが怖かった」「トイレやばい」みたいなのが多かったので僕もトイレに行ってみることにした。悲鳴あげそうになった。


全員ぐったりして店を出て、松本駅へ。カアリイのお見送りをするはずがチケットの予約が取れていなくて、満席だらけで2時間後の電車に変わったので松本駅から近くのカフェへ。スプーンのないカフェ。いやスプーンがない事はない。
みんなでご飯を食べていると女装したおじさんが通った。この松本市では有名な人らしい。とくに女っぽい仕草でもなく、特にスタイルが良いわけでも、女っぽい顔をしているわけでもない。
このおじさんの話題でもちきりになったけど、僕はこの時
これがチラチラと頭をよぎっていた。あれより下かよ。

あれより下かよ。


今日このまま帰るのももったいないのでFAMEが開いてたら長野市に移動して戸谷さんと泥酔でもしようかなと思ったけどFAMEはお休みだったので断念。「お店が休みでも呼び出せばいいじゃないですか」と言われたが、そこまで気合の入った感じにしたくない。あれ、僕は何を考えているんだ。FAMEに行くのもヤバいだろ。もったいないとか何言ってんだ。休まねば。

カアリイの電車の時間になって、みんなでお見送りして僕も帰る事にした。もう外はしっかり寒かったのでカイロ10個入りを購入して、コンビニで服脱いでカイロを全身に貼り付けようとしたら貼れないタイプのカイロだったのでまた服を着て、またマツキヨ行って、またカイロ買って、コンビニで10個貼り付けて、ついでに貼れないカイロも全部のポケットに入れて、これはこれで何か身体に悪いかもしれないなと思うほど防寒に徹した。あっつーい。コンビニからバイクまでの数分で汗だく。

暖かいのでとりあえず高速乗りながら「岐阜とか寄って誰かとニュー玉宮いきたいなあ」と考え始めた。

1時間後。うっすらと「カイロ20個じゃ足りないかもしれない」と思い始めた。

さらに1時間後。岐阜に寄るとかバカじゃないの。寒すぎ。帰ろ帰ろ。
と言う事で土岐ジャンクションで豊田方面を選んだ。


松本のみなさん、僕全然関係ないのに便乗してしまって、いろいろとお世話になりました。
ありがとうございました m(_ _)m


いま、日記を書きながら「もしFAMEが開いてたら、月曜日はそのまま長野市に泊って、そうなるとヨウが新潟に戻るから火曜日は新潟に行けてしまって、そうすると他の人の予定も見事にハマってまだまだ家に帰っていなかっただろう」と気が付きました。危なかった。


しばらく大人しくします。

長野県松本市

●4月28日。日曜の夕方。さっきの日記のつづき。
ゆるい感じで家を出たのでまあまあ薄着。豊田の時点でもまあまあ寒い。ちょっと雨がパラっと。
これはもう断念かなあと思って、カアリイにも「たぶん無理です」的なメールだけしておいて、それでも一応向かってみた。覚悟が決まらないので高速には乗らない。カアリイからは「いや、来れるっしょ」的なメールが来てたのでもうちょっと絶望的に雨ふんねーかなーと思いながらもうちょっと進む。 雨パラっとしただけで止んだ。止んだのであります。もうちょっと進む。でももう雨とかの問題じゃなくてすげえ寒い。まだ豊田出てないのにすげえ寒い。走れども走れども、夜は更けていくし標高は上がっていくわけだから希望がない。たぶん引き返したほうがいいのだけど、その覚悟も決まらない。

1時間後。もうどうしようもない状態になった。行くも地獄、戻るも地獄。コンビニ無いし、近くに高速も走ってない。そして寒さのあまり僕は錯乱した。
「さむいよう。ここどこだよう。怖いよう。誰もいないよう」 と半べそかいたり「いやー、トンネルとか暖かいよね。暖かいといえばトンネルだよね。明るいし!」みたいな事をぶつぶつ言ったり、そこそこの声量で歌を歌ったりした。リミックスの影響もあって歌った曲は「It Don't Mean a Thing」というあたりが僕っておしゃれだなと思ったが、とにかく、かつては山の中で仮眠が取れたほどのタフさを持っていた男がここまで弱くなるかというほどに取り乱した。デュワッデュワッデュワー。

もう歌うのも飽きた頃にやっとコンビニを見つけた。ガッタガタ震えながらコーヒーを買ったら、店員さんが「いつもはこんな寒くないんだけどねえ。寒いから店内で飲んで良いよ」 というのでお言葉に甘えて30分くらい滞在した。さらにカイロを2個買った。復活。復活したのであります。
さらにすぐに高速の乗り口を発見。発見したのであります。

 もう迷うことなく松本方面へ。独り言は一切なし。歌う曲は「BORN TO BE WILD」。 絶好調。

一時間後。まだ着かない。すっかり冷えた。山道じゃないから錯乱するほどでもなかったがもう何も歌う元気はない。これは旅なのか。楽しい旅なのか。と自問していた。

さらに1時間して松本市に到着。歯がカチカチ鳴ってた。

カアリイとガルさんが迎えてくれて、バイク置く場所を教えてもらってクラブ内へ。クラブは暖かいなあ。幸せだなあ。あ、ここ来た事ある。一回目のりんご音楽祭のとこだ。

昨日、髪を切ってしまうほどに飲んで反省中なので酒は控えようと思ったのだけど、あまりにもアウェイなので飲むしかねーなと思って飲んでたらだいぶ楽しくなってきて、気が付いたらもうタクシーに乗って逃げていた。

最近、パーティーの最中の記憶が少なくてそこに関して書くことがほとんどない。


つづく

東京以降

●4月22日。火曜日。昼過ぎに東京から戻る。
新幹線でも寝たし、帰ってからも寝た。 よく寝た。

●水曜日。身体はすっかり回復したけど妙に元気がでない。たぶん二日酔いの自己嫌悪みたいなやつ。
まあちょうどいい機会なのでリサイクルショップでレコード漁って、リミックス作業に取り掛かる事にする。締め切りは「大体今週中」みたいな感じだから集中せねば。おかげで日曜日に友達と行こうと思っていた恐竜博物館はおあずけとなった。

 ●木曜日。リミックスができた。なんてこったい。一日で完成したのは初めてだし、ちゃんと事務所からもOK出た。恐竜博物館断っちゃったじゃないか。
Betty AngelicaというバンドのCD「SO NICE」より「come on a my house ~ It Don't Mean a Thing 」のメドレーのリミックスです。忘れた頃くらいに7インチで出ます。

●金曜日。暇になったので午前中はスロット。帰ってからはモンスターハンターに没頭した。
  ついに「リオレウス、ティガレックス、ナルガクルガ、ラージャン」の4頭討伐クエをクリア。昨日と今日、なかなか調子が良い。

●土曜日。ネット見てたらこんなものを見つけた。


アイドル好きの友達を「気持ち悪い」と散々罵っていたのに、実際は僕のほうが下だったので画像を添付して「俺のほうがヤバかった」と謝罪のメールをしたら「このカスが!」と入ってきたのだけど「よく考えたらお前は3位のも当てはまるから総合ポイントで はお前のほうが下だ!」と返信したら「おまえは8位の占いも好きだろ」と返ってきたので、あとは占いのポイント次第で僕らの優劣が決まるのだけど、もうこの時点で悲しくなってきてしまったのでどうでもよくなったのだけど、結局は「いや、俺は萌え系アニメはハマってねえ!」と言うので「俺だって占いなんて興味ねーぞ!」と返信。このあと1分後くらいに「・・・と言う事はやっぱり俺のが下でした。ごめんなさい」で終了した。
ちくしょう。ギャンブルすげえ嫌われてるな。

夜は酒を飲むことにした。 最近は赤提灯の居酒屋っぽい雰囲気が好きなのでYOUTUBEで演歌とかを聴きながら飲みます。「紅い花 / ちあきなおみ」から始まって「愛燦燦 / 美空ひばり」や「舟唄 / 八代亜紀」「時代おくれ / 河島英五」「横浜BJブルース / 松田優作」「ダウンタウンブギー / 佐々木潤」「横浜BJブルース(ライヴ) / 松田優作」「松田優作のCM集」「探偵物語のOP / 松田優作」「AMIのCM集」という感じでいつの間にか松田優作ループになって、そのまま意識がなくなった。

●日曜日。今日は長野県でカアリイがDJをやるというので、恐竜博物館もやめちゃったし遊びに行こうかなと悩んでて、でもそれの為だけに長野県はキツいから、ついでに新潟でヨウと飲めたらいいなと思ってヨウのスケジュールを聞いたらその日は新潟にいなかったので断念。
じゃあ長野もやめとくかなと洗面所で歯磨きしながらぼんやり考えてたら髪が短くなってて驚いた。あわてて部屋に戻って髪を切った形跡を探した。ちゃんとゴミ箱に新聞紙が丸めて捨ててあった。ほう、ちゃんと片付けはできてるじゃないか。
急いで友達の美容院に電話して、10分後には美容院の椅子に座っていた。整えてもらってる最中に友達に「自分で切ったからずたずたっしょ?」と聞いたら「ハサミが悪い。髪が傷むからもっと良いやつを買え。」としか言われなかった。

で、午後3時過ぎに帰宅。ヨウに「朝のメールの後、髪が短くなっててビビったよ」と報告。何があったんですか?と聞かれたので



という感じで、報告してる最中にふと我に返った。部屋の片づけが出来てた事でついうっかり「片付いてるならまあいっか」みたいな気分になっていた。シラフの僕がしっかりしないでどうするんだ。
このメールの後しばらく動けなかった。何をするわけでもなくただ動けなかった。これ以上酒癖が悪化したらどうなっちゃうんだ僕はとすごく不安になった。ひとりで飲むのはしばらく控えようと思った。

夕方になって金縛りが解けた。ヨウには断られたものの「長野行こう。旅行だ旅行」みたいな気分は消え去っていなかったので、とりあえず豊田経由でのんびり下道で向かって、行けそうだったら行っちゃおうみたいなゆるい感じで家を出ることにした。

つづく

2013-04-23

4月3週目の日曜日。

●そしてマンガ喫茶で目を覚まして、日曜日。
友達と鎌倉に行く予定だったので 起きたら新宿に移動。移動したけど、友達に「いやいやいや、あんなに夜中にお金がないようってメールがきたらさ、もう鎌倉ないなと思うでしょ」と言われてごもっともですごめんなさいという事で鎌倉は無しになった。
無しになったので、新しくなった下北でもうろうろ。でも実際のところ新しくなった下北はあんまり変化がなかった。踏切が下りないというくらいか。

で、いつも目の前を通っていたけどスルーしていた焼き鳥屋へ。
ここが安くておいしかったし15時からオープンしていたので、今度誰か連れてこようと思う。

で、代々木八幡に移動してカレー食べました。食べ終えたところでまだ夜7時前。まだ7時にもなってない!という感じで、早い時間から酒を飲むと時間が得した気分になる。人生的にはおもいきり損していると思うが。

と言う事で平林さんに電話。偶然にも代々木八幡で飲んでいるとの事で合流。山中氏もいた。
このお店で終電まで飲んだ。このメンツは本当にすごく落ち着く。



●4週目。月曜日。普段はアルコール度数の強い酒をガッと飲んで、パッと意識がなくなるスタイルだけど、土曜日と日曜日は度数の低い酒をダラダラと長時間飲み続けた。この飲み方が合わないのか、よくわからないけどとにかく悲惨な状態で目を覚ました。普段あんなに飲んでてあんなに醜態をさらしている僕でも「これは結構悲惨だな」と思った。

起きた時、まだ酒が残っていて全然酔っていたのだけど、それでもこれは「それどころじゃない」と思ったので、迅速かつ穏便に秘密裏に事態の収拾に尽力した。


昼。すごく疲れたので帰る事にした。帰る事にしたのだけど、友達から誘われて横浜に行く事になった。もうフラフラだし財布カラっぽだし、忘れたい事が起こって自己嫌悪中だし、もう新幹線のチケット売り場の目の前だったのに。。。初中華街だあい。うわあい。



●4週目。火曜日。もう無理。死ぬ死ぬ。帰宅。



●おっちゃんから「この前の2000円返します~」とメールが来て、全く意味がわからなかったので詳細を聞くと「オルガンバーの時、私が出してたフードが食べたいからと言ってお金をばんばん渡してきたので7千円もいらないから、とりあえず5千円は返したんだけど、結局何も食わずに寝てたから、その時のお金」だそうで「あんな使い方は危ないよ」と付け足されていた。
その僕の手元に戻ってきたであろう5千円すらどこかに消えているので、あの日起こった事はもういいやと思って「いいよ。あげる」と返信した。しかし、もう一人の僕は破滅でもしたいのだろうかと不思議に思った。こんな奴は文通相手として歓迎できない。


●さらに、さっきトモミーのツイートに「数時間つぶれてたのに復活してウィスキーとロンリコをガンガン飲まされてる師匠にはかないません」と書いてあった。記憶のない僕が自滅的であったとして、誰かそこにのっかって僕を滅しようとしている。一人しか顔が浮かんでこないのだが。


●東京に引っ越そうかとユルく考え始めてたのだけど無理だな。死ぬ死ぬ。

4月2週目以降

●2週目の土曜日。岐阜でDJ。うーん、もう覚えてない。
気が付いたらレコバッグもちゃんと持って家に帰っていた。

最近意識が飛びやすくなってきた。
飛びやすいけど、飛んだ時の僕がしっかりと行動するようになってきた。

あっちの僕は何を考えて行動してるんだろうなどと思いをはせていると、文通相手でも出来たような気分になりますね。なりませんね。


●3週目。一回派手に飲むと、その後生活を立て直すのにそれなりに時間がかかる。
まず二日酔いで一日。レコバッグの整頓しなきゃなあとげんなりしながら一日。お金いくら使ったのか通帳を見てみたり、節約してみたり、どうせ無駄だと自棄になってみたり。そんなこんなで無駄に時間を消費していると数日後には元の生活に戻ります。戻ったと思ったら「ああもう金曜日か」くらいの感じです。


●3週目の週末。まず土曜日。ヨネの結婚式。
遊民いないし、大順いないし、渡会ちゃんいないし、ゼンもいない。なのに僕はいる。9個も年上の僕がポツンといる。祝いたくないわけでもなくて、式が嫌なわけでもなくて、ただ場違いではなかろうかと何度思った事か。微妙に恥ずかしかった。
それを察してなのか、それとも予定通りなのか、最後のヨネのスピーチで「ブートビート神谷師匠にも来ていただけて~」と名指しで感謝してくれたのだけど、もうその「ブートビート神谷師匠」っていう言い方がヤバイ。クラブ内で呼ばれるならまだしも、結婚式でそういう関係の人少ない中でその呼び方はバカっぽい。呼んだヨネも呼ばれた僕も両方しっかりバカっぽい。もうめーちゃくちゃ恥ずかしいのであります。
でもバカだけどかわいいタイプだよな、ヨネは。と思った。顔を真っ赤にしながら思った。

さて、ヨネの結婚式の後は打ち合わせで渋谷。今度リミックスをする事になったバンドのボーカルの人と軽く顔合わせしましょうという内容。でも急いで駆け付けたらハニーだった。普通に知り合いじゃないか。顔合わせいらないじゃないか。

その後は加藤さんを連れて「じゃあオルガンでも軽く行きましょうか」 という事になってオルガンバーへ。そしたら平林さんがいた。やっすの計らいで「たぶん神谷さん、今日オルガンきますよ」と平林さんを誘ってくれたそうな。
平林さんもいたからテンションあがったのと、もう結婚式と打ち合わせてだいぶ飲んでいたのでオルガンバーに入ってからの記憶が30分くらいしかない。それ以降に僕に会った人は、いま日記を書いている僕じゃないほうの僕です。

で、どれだけ飲んだのか分からないけど、何時にクラブを出たのか分からないけど、気が付いたらマンガ喫茶にいた。マンガ喫茶にいたけど、金がなくて入れてもらえてなかった。銭湯の会員証を提示してなんとか入ろうとしていた。意識が戻ったのでとりあえずマンガ喫茶を出る。お金をなんとかせねば。
いつもの僕なら意識が戻ったのだからコンビニのATMでお金をおろしてまたマンガ喫茶に戻るのだけど、今回の僕は昼間っから相当な酒を飲んだせいか「お金ってどうやったら手に入るか分からないよう。もう家にも帰れないよう」と思い始めてちょっと泣き始めた。友達に「お金がないんだよう」とメールもしていた。

1時間くらい本気で困って、宇田川町をさまよって、それからやっとマンガ喫茶に入れた。


2013-04-17

もう4月か

●3月は家に引きこもってトラック作りしていました。無理やり4曲提出したのですが、たぶん全てボツでしょう。手応えがまるでない。

●3月31日。暖かくなってきたので多賀大社へ。
車で行って、車の中に自転車を積んでもらっておいて、多賀大社を参拝後に現地で解散。
そして僕は自転車で帰るというわけです。3月の運動不足を一日で解消してしまおうというわけです。

まあいざという時のために折りたたみ自転車にしておいたので、心が折れたら、自転車をたたんで電車に乗ってしまえばいいので気楽だったのですが、実際のところ、山道ばかりでどこにも電車が走ってなかったので、四日市までは「電車に乗る」という選択肢はなく「自転車で帰る」の一択だったし、僕はこういう事で心が折れた事がないので結局は四日市を越えても自転車で頑張りきった。16時間かかった。

高校の頃にも大阪まで自転車で行っているので、20年ぶりに鈴鹿峠を通ったけど、峠を越える時に、20年前の僕が仮眠をとった場所を通った。
峠の一番上あたりの街灯もない場所で、ガードレールはあるものの幅1mくらいの細い歩道。
20年ぶりに見たが、やっぱりなかなかすごい場所だった。こんな場所で、深夜1時過ぎによく寝れたものだ。
いままでは、自分のこういう面を「たくましい」とか「タフ」とか思ってたけど、改めて「こんなとこで寝るやつは、ただ不気味なだけだ」と思った。死体にしか見えない。


● 4月1週目。姪(ソナ 6歳)と二人で名古屋市科学館へ行ってきました。
ソナが喜ぶようなものが体験ブースがたくさんあったのだけど、保育園を卒業して、小学校が始まる前のこの時期は、同じ年齢らしき子達が大量にいて、うちのソナは押しが弱いので、横入りされ放題でほとんど何も手がつけられない状態だった。
これも社会勉強かなと思って、僕は遠くから「ソナがんばれ~、横からはいっちまえ~」と笑って見てた。が、そのあと欲求不満になったソナが僕に対して八つ当たりしてきたので大いに困った。

だいぶ執拗にわがままを言われた。公園行きたいだの、さっきの科学館戻るだの、「何かしたい」とアバウトな要求もしてきたし、マック食べたいと言い出すからマック行って、買ってきたら「もういらない」とか言われた。こいつこの歳でこれやるのか。と、ちょっと感動したがもう二度とソナの子守はしない。 疲れた。


●4月2週目。土曜日。岐阜でDJしました。

長くなりそうなので、ここでいったん区切ります。でわ。

2013-03-31

I'm still waiting

これは僕が21歳の頃の話。時給の良い肉体労働のバイトをしてわ、スロットで全部無くしてた頃の話。僕はこの感じで人生が終わるのかと思っていたし、それでも構わないと思っていた。



そんな不毛な頃、当時北海道の大学に進んでもうすぐ4年生になる友達から「こっちはスロット勝てるぞ。暇なら来い」という電話が来た。僕らの年齢だとスカイメイトというのに登録すれば飛行機代が半額だと教えてもらって、それ以外の詳細はほとんど聞かず、その電話の2日後に僕は北海道の北見市という場所にいた。おそらく僕にとって天国になるであろう土地。金だ金だあい。

実際のところ、本当に良かった。スロットの設定は高いのに、それを食い物にするようなプロもおらず、まさに天国だった。ここでスロットで食う為のノウハウを学んだ気がする。でもそれだけじゃなかった。北海道の女の子はとにかくかわいくて、とにかく優しかった。
友達もみんな優しかったし気が合った。パソコンに詳しい友達もいたのでそれも覚えたし、女の子を口説くのがやたらに上手な友達もいたのでそれも勉強になった。
北海道に行った当日に「心霊スポットに行きたい」と言ったらみんなで連れて行ってくれたし「牛の乳しぼりがしたい」と言ったら数日後にはやらせてもらえたし「合コンがしたい」と言ったらほとんど毎日開催された。「ウニが食いたい」と言ったらみんなでフォーク持って海に入った。ビックリマンが復刻した日には車で何時間もかけていろんな店を回ったし、友達が女の子を連れ込んだ日には隣の部屋で壁にコップを当てて数時間過ごしたりもした。
結局僕はこの土地に1年近く滞在し、僕にとっての青春はおそらくここだったと今になって思う



その一年で僕は運命的な出会いもした。相手にとってはそうでもなかったかもしれないけれど、少なくとも僕にとっては。

彼女はとてもきれいで、とてもスタイルが良く、とても性格が悪かった。


北海道に住んで数カ月した頃。夏が来る頃に僕はその子に出会った。僕は一目惚れし、必死で口説いて、いつものパターンに持ち込んだ。
そこまではいつも通りだったのだけどその後が違った。彼女はプライドがすごく高かった。僕は「ほっとけば連絡来るだろう」と思っていたのだけど、ほっといたらそのまま連絡は来なかったし、かといってこちらから連絡すると、それには時々返信がきた。僕が風邪を引いたとき「心が寒くて風邪を引きました。OOO(彼女の名前)という名の薬をください」と明石家さんま風のメールをしたらそれは予想通り無視された。
僕は彼女が好きだったし、彼女もそれなりの愛情表現はしてくれたので「じゃあ付き合おうか」というとそれは丁寧に断られた。でも後になってそれを聞くと「付き合ってたようなもんだよね」と言う。全く分からない。とにか難しい子だった。

僕はその子を想いながらも、うまくいかないので他の女の子と遊んだ。いっぱい遊んだ。男はそういうのができる。
たまにその子に連絡しては「反応が薄い」と思って、やっぱり他の女の子達にうつつを抜かした。
でも「誰が好きか」と問われれば迷うことなく僕は彼女の名を挙げた。でも他の子と遊んだ。

そんな日々にも終りが来た。一年後、僕が居候してた友達が大学を卒業することになったから。



大学4年の2月。最後に僕らはクラブでパーティーをした。ゲストDJを呼ばずに400人を越えたので、あれは田舎にしてはかなり大きなパーティーだったと思う。

その日、僕はいろんな友達と話をしたり乾杯をしたりで忙しかったのだけど、時間を作って彼女とクラブ前の階段で話をした。内容はほとんど覚えてないけど「本当は僕はすごく好きだったんだよ」とか「私はそれなりに好きだったかな」とかそういう甘酸っぱいやつ。
でも特にしんみりするわけでもなくて、僕らは「もうちょっと素直に言えてたらねえ~」くらいで笑いながら会話を終えて、その後は彼女と話すこともなくパーティーは終わった。



数日後。僕は居候してた友達と一緒に北海道を発つ日になった。僕らは全然荷物をまとめていなくて、当日に集まってくれた仲間がフル稼働で頑張ってくれて、なんとか夕方前には出発できた。その出発する直前に彼女が見送りにきてくれた。

みんなが気を遣ってくれたので 、からっぽになった部屋で僕と彼女の二人きりになった。この前みたいに笑って終わるかと思っていたのだけど、予想外に彼女が泣き始めた。あのクールな彼女が泣いた。本当はもっと素直になりたかったと言って泣いた。それを見てカッコつけてた僕も糸が切れて泣いた。


そして、出発の時に彼女に渡したのが「I'm still waiting / courtney pine」というレコード。渡した時に「タイトル通り、僕を待ってて」と僕は言った。何か変なものに取りつかれていたのかというほど寒いセリフだが、たぶんあのときは違和感がなかった。人生で1~2回は寒い事があってもおかしくない。なので今になっても恥ずかしくはない。本当はこの曲は「僕を待たないで。いつか素敵な人に巡り合えるから」と言って引っ越していく男の子に対して「あの時、彼はああ言ったけど私はまだ出会えてない。まだ待っているの」と女の子が引きずっているという歌詞なので、僕が待ってろと言って渡すにはちょっと違うのだが、それも気にしない。
初めて会った時は「お、かわいいこだな」って思っただけで別に運命とも思わなかったし、それ以降も結局一番かわいいのはこの子だよなと思ってただけで、大恋愛みたいなのとは程遠い軽い感じだったのだけど、この日から少し変わった気がした。


そして僕らはみんなに手を振りながら車で去った。 「意外とあっけないね~」とか笑いながら。思い出話しながら。たまに黙ったりしながら。






その2年後。北見市に残って大学院へと進んだ友達も卒業する時期になった。
「最後だから」と言う事で僕らはまたパーティーをする事になって、愛知県から駆け付ける事になった。彼女に会える。

 彼女に会えるとはいえ、僕はその頃に付き合ってる子いたし、そうでなくてもいろんな子と遊んだ。
なので一途な気持ちとは全然違う。でもすごく嬉しい。僕にも分からない。

パーティーが始まって、しばらくして「彼女が来た」と友達から教えてもらって、彼女が待ってる場所へ行った。誰も入らない控室のようなところ。僕は彼女を見て頭が真っ白になった。
真っ白になったから何も言葉が出ない。「あ、あ、あ、ひさしぶりだね。え、えっと」みたいな。

そんな僕に、彼女は「なーに緊張してんだ」と言ってキスしてくれた。力が抜けたし、文章で説明できないほど惚れた。腰が砕けるかと思った。人生でこんな経験ができるのはとても幸せな事だろう。


 僕は真っ白な頭で何か適当な会話をした。そして最後に「え、えっと。僕にはいま彼女がいるし、そうでなくてもチャラいし、言ってる事は適当だし、嘘も多いし、約束なんて守った事がないのだけど。。。でも、僕は有名になって君を迎えに来るから待ってて。それだけは守る。人生で一度くらい、ちゃんと守るから」と言った。彼女いるくせに堂々と。
「有名になる」というのはアバウトだし、難易度高いし、なかなかとんでもない事を言ってしまったなと今は思う。若気の至りというやつだ。 何か変なものに取りつかれていたのかというほど寒いセリフだが、たぶんあのときは違和感がなかった。人生で100~200回は寒い事があってもおかしくない。なので今になっても恥ずかしくはない。





あれから愛知に戻った僕は必死に頑張るかと言ったらそうでもなかった。忘れたわけでもなかったけど、まあほどほどにという感じだった。なにより愛知で付き合っていた彼女の事がすごく好きだった。一応レコードは買っていたし、スクラッチや2枚使いの練習はしていたけど有名になるために何かするわけではなかった。


でもある日チャンスが来た。小西さんに出会えた日。それ以降はもうどこかの日記に書いたような感じで事が進んで、僕はゲストDJとして札幌に行けた。有名と呼ぶには程遠いけどかといってあの頃の僕には考えれなかったような事なので、もちろん彼女にも連絡した。
しかし彼女はすでに結婚していて会えなかった。一途でもなかった僕に何も言う権利はないし、本気で迎えに行ったわけでもないけど、でもやっぱり少し悲しかった。



そんな事を想いながら、今日あの頃にもう一枚買った「I'm still waiting / courtney pine」を聴こうと思ったらレコードが割れていた。割れたレコードを見ながら「こんなレコード渡したけど、待ってたのは僕のほうだったかもな」と思った。


あの子は元気にしているのかな。僕は飲み過ぎてあまり元気じゃないです。


ばいばい。

2013-03-08

まとめて

●2月の第四金曜日。新宿でDJしました。

メンツがメンツだけにそんなに飲まないだろうと思っていたのだけど、ヨシくんが気を使ってくれて、頼んだウイスキーが多めに出てきて、これが飲みきれなかったのでコッソリとホシ君に飲ませたら、今度はホシ君が気を使ってくれて、お返しにとさっきの倍くらいの量のウイスキーで帰ってきた。こいつに苦戦してる最中にヨシくんがもう一度気を使ってくれてウイスキー持ってきてくれた。

誰かに飲ませたらお返しで増える。飲ませなくても増える。

朝方はOTOのスタッフのヨシくん、てつろうくん、高橋君と僕の4人でダラダラ話をした気がする。
この日のDJのメンツ楽しかったなあ。OTOやっぱり好きだなあ。と思った。


●次の日。マンガ喫茶で目が覚めた。どうしてここにいるのか全く分からない。最近、酒を飲むとすぐに意識が飛ぶ。こうも手軽に飛んでいいのだろうか。

起きた後は友達の家に移動して少し休ませてもらった。なぜかPSPを貰った。モンハン付き。

帰りの新幹線の中でモンハン開始。プレステ2の頃に1000時間くらいやって以来久しぶり。楽しすぎた。



●ばたばたと連絡が来て、4月に岐阜、6月に名古屋、8月に浜松でDJする事になりました。

こうやってオファーをいただくと「そろそろ何かリリースしなきゃなあ」と思うのだけど、いまはミックスCDをリリースしようとは思えないし、じゃあレコードでと思うのだけど、何を作りたいのか定まらない。

「どこかからリミックスのオファーでも来ないかなあ。冷や汗かくようなやつ」と思いながら酒でも飲んで過ごすことにします。

2013-02-18

久しぶりのDJ

今週土曜日はオルガンバーでDJしました。DJ自体が久しぶりです。半年ぶりくらいかな。
こんなにDJしなかったのは10年くらいぶりです。まあとくに何か制作をしているわけでもなく、こんな僕がどこかで呼ばれてDJしても微妙だよなって思ってるので営業する気も起きません。ダメなときは引っこんでいれば良いのです。

で、この半年。良い休憩になったというか、とにかくレコードたくさん買って楽しく聞いて過ごしていました。買えば買うほど「キリがないなあ」と思ったし、誰かのDJを見るたびに「がんばってるなあ」と思ったし、誰かの作品を聞くと自分のダメさというかこざかしさというか、そういうのばかりが目についてしまって、おかげで今回の選曲すごく悩みました。


で、パーティー前日。オルガンバーでは小西さん、平林さん、内門さんの誕生祝いが行われていたので、この日から東京入りしても良かったし、名古屋ではムラナオやたかふぇ君のパーティーがあったので、東京に行かないならこっちに遊びに行っても良かったのだけど、久しぶりのDJだから大事を取ってこの日は家にいたわけですが「自分の事を優先しすぎてしまったかな。良くなかったなあ」と反省したので、どうせだったらどこかのパーティーで派手に失態して悔やんだほうが良かった。


で、パーティー当日。夜9時に東京に着いた。だいぶ念入り。
ご飯食べて10時半くらいにオルガンバーに移動。
チャーベさんが来てくださって、前に少しタイムストレッチのお手伝いしたのでそのお小遣いをもらった。早速そのお金でチャーベさんとショット飲んだ。 チャーベさんごちそうさまでした。
http://instagram.com/p/Vy3SmoITV6/

そして一回目のDJ。さすが渋谷。お客さんの入りが遅い。まだあんまりいない。あんなに選曲を悩んだ事に意味があったのかどうか疑問を感じた。ただそんな中でも有名な曲をかけるとフロアに集まってもらえたりして、大ネタの強さを再認識した。

そのあと平林さん(この3日後に誕生日)が来てくださって、急だったので誕生日のお祝いも持ち合わせていなかったので、これはお酒くらいおごらせていただこうかと思ったら、平林さんカウンターにずっといて、ノンストップでロンリコを振舞っていたので僕が出るタイミングがないどころか僕も巻き込まれてあっという間に泥酔した。すさまじかった。「あ、俺いま東京にいるんだ」って思った。
意識が薄れていくなかで、最後の力を振り絞ってDJブースに行って、自分のレコバッグから適当に物色して「やっぱり僕が平林さんにお酒をおごるなんて無理でした。これを受け取ってください。誕生日おめでとうございます」と言ってレコードを渡した。本当に全く敵わない。

平林さんが来てくださったあたりからお客さんわさわさ増えてて、2回目のDJは盛り上がるかなあ楽しみだなあなんて思ってたのだけど、そんな流れだったので、2回目の出番の1曲目。DJブースに立ったところから僕は意識を失ったので、あんなに選曲を悩んだ事に意味があったのかどうか疑問を感じた。僕ってこういう感じだよな。うんうん。




気が付くと僕は品川駅にいた。「不発弾の処理で新幹線に遅れが出ています」と言われて駅員さんに悪態をついていた。悪態をついてる最中にふっと目が覚めて「あ、不発弾処理のアナウンス、昨日から流れてたから知ってる。怒る事じゃない」と気がついてしまってバツが悪かったので、スッと逃げた。
しかし寒い。品川駅は寒さをしのぐような場所がない。何分か待って、新幹線に乗って一安心。

新幹線は温かくて幸せだなあ~暖房ってすごいなあ~と思ってる時にふと「なんの疑問もなく新幹線に乗ってるけど、レコバッグもちゃんとあるけど、新幹線のチケットも買ってあるけど、財布カラっぽになったあとATMでちゃんとお金降ろしてるみたいだけど、記憶がない」と気が付いた。やることはやってるので特に文句のつけようがないし、いまさら心配になった所で手遅れだけど。


で、そこから僕は二日酔い特有の自己嫌悪で奈落の底へと落ちた。しょんぼりしながら家に帰って、布団にくるまって、数々の思い出せない事を一生懸命思い出して、一生懸命凹んだ。


夜中、二日酔いが治まると「なんであんなに凹んでいたんだろうか。別になにもかも諦めればいいじゃないか」と思えてくるから不思議だ。不思議だったのでツイートしたみたら、分かってくれる人が結構いた。
これをリツイートしてくれた人とは親友になれそうな気がする。


あとフェイスブックでは「酒で失態ばかりする人達を集めて傷を舐め合う会があったらいいのになと思います。」と書いたら、これには戸谷さんがすかさず反応してくれた。めちゃくちゃ酒癖の悪い人でしか構成しないにしても戸谷さんは大歓迎です。



あ、そういえば僕のこのブログのタイトルのところ「BOOTBEATのBLOG!」の下に書いてある言葉が読めませんって一度も言われた事がないのだけど、あれはどんなに拡大しても読めないのだけど、本当は「お酒にまつわる面白エピソードとか書いちゃってます(笑い)」とか「DJのオファーや飲み会のお誘い(←おいおい)などはこちらへ」みたいな、だいぶ寒い事を書いてるだけなので別に良いのですが。



そんなこんなで僕の久しぶりのDJの感想は「あんまりよくわからなかった」です。
また来週も新宿でやります。お近くの方、ぜひよろしくお願いします m(_ _)m

2013-02-05

二日酔い

2月17日。カアリイが三重でDJするので遊びに行った。

着いてすぐにカウンターにてウイスキーのロックを頼んだ。大きめのコップにウイスキーがしっかりと入ってた。氷が少なくて、映画「オーシャンズ」の白クマのシーンを思い出した。

ムラナオと話ししながら飲んでいたら外人さんに話しかけられた。「ハウス ハ スキデスカ?」「ナゴヤ イキマスカ?」「JB'S シッテマスカ?」「カンパイ」で去って行った。何が聞きかったのかよくわからないけどなんか温か い気分になった。あの人が朝方に倒れてたら介抱してあげようと思った。まあ倒れるのは必ず僕なのだが。


TAARさんがDJをしていた。
清潔感がある外見で、四つ打ちを流して、テキーラのショットは断っていて、お客さんをアオる動きも違和感がなくてとてもスマートな感じがした。僕が女だったらこういうDJに惚れるだろう。
清潔感に欠ける外見、わざとでもなく変な曲を流してフロアがイマイチ盛り上がらない、テキーラは無理してでも飲み干す、照れ屋なのでお客さんをアオろうとすると動きが変になる。という僕みたいなDJは僕が女なら絶対に御断りだ。
そんな事を考えていたら酒がすすんだ。

カアリイの出番になった。相変わらず人気あるなあかっこいいなあとぼんやり見てた。

そのまま酒でぼんやりし続けてカアリイの出番が終わる頃から僕はほとんど記憶がない。
いろんな人と酒を飲んだような気がする。




朝、電車に揺られて目を覚ました。いや、電車で車掌さんに揺り起こされた。
特急列車に乗っていて、ちゃんと名古屋方面行きだった。ただ特急券を持っていなくて、財布もカラになっていて料金が払えなかった。まあこんな程度なら後でATM行けば済むので問題ない。
どこかの病院の個室で目覚めなくて良かった。本当に良かった。今年は運が良い。

電車降りようとしたら両足がめちゃくちゃ痛かった。モモタン(腿をヒザでどーんと蹴るやつ)を右に5回、左に8回くらったんじゃないかというほどに痛い。記憶がない時に何があったんだろう。
車にでも当たって飛んだか、階段から転げ落ちたか、本当に誰かにモモタンくらったか。まあ原因は大した問題ではないのだがとにかく痛くて歩きにくい。両足ともなると引きずって歩くことも出来ない。変な動きでゆっくりとATMを探して、そういえば右肩も相当痛いと気が付いて、お金おろして、ヨロヨロと近鉄まで戻って特急料金の不足額を払おうとしたら「もういいですよ。次から気を付けてください」と言われて、こういう小さいラッキー持ってるよなあ俺と思いながら今度は名鉄へ。
自分でもイライラするほど動きが遅い。いま吐き気が来たらトイレに間に合わないなあと心配したがそこはセーフ。今年は運が良い。


帰宅後は二日酔いで大いに悶えた。気持ち悪さが去ると今度は自己嫌悪で奈落の底へと落っこちた。
記憶がなくなるちょっと前くらいの自分の言動がめちゃくちゃ嫌いで、 僕は死ぬまでにあと何回あの自分と向き合わなきゃいけないのだろうと考えるとゾッとするのだけど、結局いつも一日経つと「まあいいか。いまさらかっこつけようもない」と開き直れるから不思議だ。
そして今日ももちろん寝る頃にはケロっとしていた。


今回もまた、みなさんご迷惑をおかけしました m(_ _)m

2013-01-05

年末年始

12月27~29日。3日間。夜中にUSTやりました。

12月に大規模な整頓をやったのですが、このほとんど片付いたレコードをさらにBPMの近い順に並べたり、ジャンルは無視して「やはりここの近くにあったほうが使いやすい」というレコードを移動させたり。そういう細かい並べ替えをひとりでやっていると気が散って作業がはかどらないので、USTしながら強制的にノンストップでやることにしたわけです。

結局3日間で計20時間ほとんど曲がかぶらない感じでDJできて、細かい並べ替えも大体終わった。
それに、今までの僕はUSTやると1~2時間でギブアップしていたのに今回は7時間ぶっ通しでも選曲的にはそんなにつらくなかった。12月にやったジャンル分けが効果絶大だと認識できて、努力が報われた気がした。

「思い出順」と称して、レコードを買うたびに棚の空いているスペースに適当にぶちこんでいたのがどれほどマズかったのか身にしみて分かった。思い出順にしていてもある程度まではDJに支障ないのだけど、レコードの保有枚数がある程度を超えると手がつけられなくなります。
整頓が嫌いな方でもレコードが増え続けている人は絶対ちゃんと整頓したほうがいいです。


12月30日。並べ替えたレコードの復習みたいな感じでこの日もちょこっとUSTをやった。
それ以外の時間は大掃除。



12月31日。大みそか。

この2012年は僕にとって小殺界と言われる年で、さらに10~12月が大殺界の月だったそうです。
占いはたいして信用しないのですが、この六星占術だけは多少気にしています。
なのでこの日で不運ともおさらばなのであります。


さらにテレビジョン見たらこんなのが載ってまして

2013年は乙女座絶好調みたいです。こういう前向きな占いは大いに期待します。

という事で、年が明けたら急に幸運が舞い込んでくるんじゃないかと 思って、一日中ほとんどコタツから出ず「思えば2012年の10~12月は悪い事のほうが多かったなあ」と感傷にふけりながら静かに過ごしました。




1月1日。NHKを見ながら年が明けました。
新年を迎えた瞬間、僕は「ああ、やっときた。12月つらかった・・・」と目を閉じてしばらく動かなかった。なんかもう年が明けただけで幸せになった気がした。そして近くの神社に初もうで。

帰宅後、しばらくテレビを見てから寝る事にしたのだがアイマスクがない。いつもならまあいいかと思って寝るのに「そういえばここ最近ずっとアイマスク見てない」と気が付いてしまったのでもう眠れない。仕方なく部屋中を探し回っていたら3ヶ月間見つからなかったレコード2枚がレコバッグじゃないバッグから見つかった。買い直ししようと諦めていたのでかなり嬉しい。アイマスクの事はすっかり忘れて見つかったレコードの聴き直し。満足したのでもうアイマスク無しでマンガ読みながら寝ようと思ったらマンガに挟まってるアイマスク発見。なんてこったい。まだ年が明けてから4時間でこれか。これは宝くじとか当たっちゃうんじゃねーのと思って、年末ジャンボの当選結果を見た。ちなみに宝くじを買ったのは初めて、しかも一枚。

買った経緯はこっちの日記より↓
http://boot-beat.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html

で、これが3000円当選していた。300円ならまだしも3000円はあんまり当たらない。小額のくせにあんまり当たらない。おばちゃんありがとう。これ買った日の病院のマイナスを考えると補てんにすらならないけど、マイナスは去年。このプラスは今年。レコードを紛失したのは去年。見つかったのは今年。

今年だけでいえば確実にいきなりめちゃくちゃプラスなのであります。


寝て起きて、昼。豊川稲荷へ初詣。
 「もっともっと何か良い事起こってくだせえ」という汚れた気持ちで初詣。
お賽銭を投げて、次はおみくじ。すでに絶好調のスタートなのに下手におみくじでコケたりしたらどうしようと思って正直引く事を悩んだが「ここで転ぶような運であればたかが知れている」と思ったので引くことにした。結果は可もなく不可もなく。セーフ。

参拝後に友達と酒を飲んでいたら落合さんからメールが来て2月22日にOTOでDJすることになった。

そしてさらに2日後。スロットは大負けしたが、ヨウからメールが来て2月16日にオルガンバーでDJすることになった。



今年は何かある。
ただ、スロット一回の負けのせいで金銭的なトータルはマイナスになったが。